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停泊中、君の声を聞く
1人の青年が、ここから落ちた。
船尾側の甲板で夜風にあたっている時、この錆びた手摺りに置いた手を滑らせて、1人静かに暗い海に消えた。
1人で船から落ちれば、9割9分助からない。
長く船に乗ってきた船長が、何かを思い出し息を詰まらせながら、乗船したばかりの私達に言った言葉だ。
その通り、とてもありきたりに、彼は助からなかった。
慣例の日に2度ある点呼に、彼が姿を見せなくなった日から数ヶ月後。灰色の作業着が遠くの海域で、漁船の主人に発見された。ボロボロの名札に所属大学の紋章をみた漁船の主人が、その朽ち果てた形見を手に、電話のある漁港の詰所に駆け込んだ。
そこで、いよいよ私達は、彼が海に飲み込まれた、という事実を否応なく突きつけられることになったのだ。
船の行き過ぎな迄の規則に嫌気が差したんだろう、彼は、自由になったんだろう。
作業着が見つかったと聞くまでの私は、彼が揺れない地面に感動し、解放感を味わって、どこかの町のどこかの部屋で、大好きな哲学書を読み思考に耽り幸せそうに過ごす光景を思い浮かべていた。落ちたのではない、自らの意識でここを去ったのだ、と。1月の冷たい海にあっけなく消えてしまい、誰にも見つけられず、もがき苦しむ彼の姿を想像することを、私は本能的に拒絶していた。
非常に優秀で、後輩からはお堅い印象を持たれ、士官からは一目置かれ、信頼される、規律に従順だった彼が、消灯時刻を過ぎた後、甲板に出ていたというのは多くの船員にとって信じがたいことだった。
船内の一部では、自死ではないか、との噂も立った。
だが、それはあり得ない。彼の崇拝する哲学者は「ヴィトゲンシュタイン」なのだ。自死は最も許され難い罪である、と彼は考えていた。
私は彼に、ヴィトゲンシュタイン哲学のあれこれを教えられた。といっても、彼が夢中になって話す、言語について、死についての小難しい話は大半が私の理解の範疇を超えていた。だから、ほとんどは聞き流してきた。彼の方も実際のところ、私に哲学を伝えようとしているのか、はたまた私を壁打ちの相手にしているだけなのかが分からないほど、いつもただ1人で話し続けていた。「いや、この議論は結びつかないな、検討をし直そう。」「うん……。待って、少し考える。」と言って何十分も黙り込んでしまうこともあった。
私が「壁」として優秀であったのか、いつも決まって、会話の最後には「ありがとう」と一言告げられた。私は何も話していないのに感謝されるいわれがなく、少しの違和感とそして少しの幸福感を味わう。たとえ「壁」であっても彼の思考を深める手伝いができたのなら、幸せじゃないか。
私は、彼が好きだったのだ。
波が船体にぶつかり、ちゃぽんちゃぽんと音を立てるのを聞くと、その中に彼の綺麗な声が混ざっているような気がした。海と、一つになったのだ。
私は、彼が手摺りに残した跡をなぞり、重心を暗くて冷たい彼に傾けた。
一月二十二日、午後十一時三十分。練習船に乗船していた学生2人は、甲板に出て静かに言葉を交わしていた。午後十一時四十五分、少女は1人、誰もいなくなった甲板から船内へ繋がる扉を開き、居室へ戻った。
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