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5.父の落とし物
弟が帰ってきたのは父の葬儀の真っ最中だった。ブランドもののトランクと婚約中だという女性を連れ、「どーもすみません」と他人みたいな顔で入ってきた。読経中の僧侶が怪訝そうな顔つきで振り返り、母は涙を拭くのも忘れて「トランクは外に置いときなさい」とささやく。
親族だけの小さな葬儀だったけれど一瞬にして沈鬱な空気は吹き飛んだ。
四つになった長男が「だれー」と指さしたので「ゆうちゃんのおじさん」と言うと、弟は私たちを見た。最後に会ったのは長男が一歳の時、次男は初対面だ。
弟は興味のなさそうな顔で前に進んだ。弟だけでなく彼女さんまで最前列に座らされている。弟は母から父の数珠を渡され、彼女さんは自前の数珠を手にしていた。
最後のお別れの時、棺に収まった白い顔の父を見ても弟は表情を変えなかった。皆がすすり泣く火葬場でも弟は黙って父の骨を拾い集めた。いつもエネルギッシュだった母が小さく見える。子供を追いかけてばかりの私と違い、そばから弟が離れなかったことだけは救いに思えた。
子供連れの私たち夫婦は一足先に実家に戻り、遠方から来ている父の弟、正志叔父さんも一泊することになった。弟と彼女さんは帰るなり部屋に閉じこもった。
「ぱぱーおなかすいた」
「なんか買いに行こうか。何がええかな」
夫が長男に上着を着せ始める。葬儀前に授乳、葬儀中も抜け出して授乳、火葬前も授乳、帰宅してすぐに授乳した私は干からびた魚のようになっていた。今から義理のご両親に電話をしなくてはいけないのに頭が回らない。
このまま畳になってしまいたい、とくだらないことを考えていると長男が「かぜひくー」とブランケットをかけてくれた。
「孝介くんらもいるかな」
「せやな……聞いてくれる?」
ありがたい申し出に甘えることにした。奥の部屋で次男と一眠りして体を休めないと、夜の家事が待っている。叔父さんと孝介たちがいるなら風呂場を洗って布団も用意しないと。
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