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4.父の拾い物
それから四年が経ち、次男が生まれた。幼児二人を連れて実家に戻る気力もない私の元に、月に一度は母が来てくれた。相変わらず私は頼れる人もおらず、夫は仕事に疲弊し、家事もままならない日々を送っていた。
ほんの少し冬の気配を乗せた、寒いある秋の日。疲労困憊していた私の元に父と母が来た。母は掃除をし、父が長男の話相手をする。ヒーローものを熱く語る幼稚園児に適当な相槌をうつと、次男の世話をする私に父が握りこぶしを出した。
「これ、やるわ」
これと言われても日焼けしたこぶししかない。ぐずっていた次男が興味を引かれたのかピタリと泣き止む。
「かなこ、誕生日やろ」
「ああ、うん」
子供たちの世話に追われ、すっかり忘れていた。珍しいこともあるものだ。父がプレゼントをくれたことなど数えるほどしかない。自慢気に開いた手を見ると、銀色に光るネックレスが乗っていた。
「何これ」
「こういうの、好きやろ」
「まあ、確かに」
月と星のモチーフがついたネックレスは私好みだった。プレゼント包装とか箱とかないのか。体温で生ぬるくなったネックレスを受け取ると、モチーフがわずかに欠けていた。
「端っこ欠けてるで」
「ほんまやな」
いや、ほんまやなやなくて、梱包はどこにいった。よく見るとチェーンもあちこち錆びている。わずかに汚れもあるような、もしや。
「お父さん、これどこで拾ったん?」
「ここ来る途中や」
やっぱりと肩を落とす私に「キレイやろ?」と父は笑う。濡れた洗濯物を抱えた母が「そんなん渡すのやめときて言うたのに」と声を上げる。
終戦の年生まれの父には拾い癖がある。記憶にある一番大きな拾い物は粗大ごみの山から回収した革張りのソファだ。当時は月に一度「粗大ごみ」の日があり、府営住宅のすぐそばに家具や家電が山のようにつまれていた。今のように捨てるために金を払う必要もなく、景気がよかったこともあって新品同様の家具が惜しげもなく捨てられていた。
拾うのは父だけでない。近所に住む人たちが回収の前日から物色に来ていた。父には宝の山に見えたことだろう。
母の許可なく回収してきた黒いソファには私も心ときめいた。キッチンと六畳間、四畳半間のみの実家が、急に豪邸になったように思えた。母に邪魔がられたそれはクリスマスの家族写真にちゃっかりおさまったが、じつは合皮だったこともあって中のスポンジがこぼれ出すようになり、年明けの回収日に母がひとりで運んでいった。
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