8.私の落とし物

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8.私の落とし物

 葬儀場で母の遺体と対面した。父の時と同じ、家族葬用のこじんまりとした部屋に棺が置かれ、その中で母は眠っていた。口の腫物は化粧できれいにカバーされ、首元は美しいレースで覆われていた。母はいつもきっちりと化粧をし、おしゃれが好きだった。葬儀場の配慮に思わず泣きそうになってしまう。  職場から駆けつけた夫と葬儀についての説明を受けた。前の年に父が亡くなってここで葬儀をさせていただいたから同じようにお願いします、と言うと担当の男性が「畏まりました」とすぐに手筈を整えてくれた。 「喪主は弟様でよろしいでしょうか」  その言葉に私と夫は目を見合わせた。孝介とはまだ連絡が取れていない。 「あの、私が喪主をできないでしょうか」 「申し訳ございません。原則、配偶者様かご長男様と決まっておりまして。たとえばその、ご長女様の配偶者様でしたら可能ですが」 「透くん……お願いします」 「俺は構わんけど、孝介くんは」  私は首を振って「あいつはあかん」とつぶやいた。父の葬儀の前後からあきらめに近い気持ちと、二度と言い争いをしたくないという思いがあり、早く帰って来いと言う気にすらなれなかった。 「ほんまごめん。お義父さんとお義母さんには私から説明するから」 「ええって。僕がやりますんでよろしくお願いします」 「畏まりました。では準備を進めさせていただきますね」  私たちは契約書に判子を押して死亡届の原本を提出した。あとは明日の通夜、明後日の葬儀を待つばかりだ。  ほっと一息つこうとしたとき、弟から着信があった。私は次男を夫に預けて廊下に出る。 「何? 仕事中なんやけど」  弟の第一声はそれだった。私も田口さんから電話を受けた時はこんな声をしていたのか、と思いながら深呼吸をする。 「お母さんが死んだわ」 「は? 誰のお母さんが?」 「あんたのやろ」 「は、え? ちょ、ちょっと待って、意味わからんねんけど」  私かて訳わからんわ、と思ったが声には出さず続けて言う。 「孝介のお母さんが死にました。通夜は明日の午後七時、葬儀は明後日の午後二時です。親戚の人にはもう電話したから」 「ちょ……待って。かけなおすから」  そう言って弟は切ってしまった。静かな廊下で私は携帯電話の画面を見つめる。父が亡くなったとき彼は二十七歳で、二十八の年に母が死んでしまった。他人なら「若くして立て続けに両親を亡くして気の毒に」と思えただろう。  でも今は私も遺族だ。幼い子供を二人抱えて葬儀の手続きから親族とのやり取りや、遺品整理をしないといけないのだ。弟を気の毒がっている余裕なんてない。
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