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秋の夜
帰宅すると、空がソファーに横たわっていた。俺は足音を立てないように気を付けて彼に近付く。空は薄く口を開けて、すうすうと寝息を立てていた。
「空、ただいま」
「……」
小声でただいまを伝えても、空が目を覚ます気配は無い。きっと疲れているんだろう。空は頑張り屋さんだからな。
このまま、ここで寝かせておくのも良いが風邪を引いてしまうかもしれない。けれど、なんだか……起こすのも惜しい。
俺は恐ろしく整ったその顔をじっと眺めた。
美術の本に出てきそうなくらい、綺麗な顔。色も白い。まるで芸術作品だ。こんな見た目なのに、少しほわっとしているところが、可愛い。気にしているようだから、本人には言わないが。
「空」
屈んで空に顔を近付ける。キスが出来そうな距離。寝込みを襲うのは気が引けるから、勝手にくちびるを奪ったりはしないが。
そっと口元を人差し指でつついた。起きない。もう一度つつく。起きない。
それどころか、空は俺の指をはむっと咥えてしまった。これは……まずい状況だ。ものすごく、どきどきする。このままではいけない、と俺は空の肩をゆすった。
「空、起きなさい」
「……むにゅ」
「空」
「……美味しい」
「……襲うぞ?」
俺が耳元で低く囁けば、空はゆっくりと瞼を開いた。俺のことを認識するのに数秒かかった様子を見せた後、がばっと起き上がる。
「あ、敦史さん! おかえりなさい」
「ふふ、ただいま」
軽いキスを交わした後、空はぴょんとソファーから立ち上がった。
「今日は、シチューを作ったんですよ! クリームのやつ! 自信作なんです!」
「いつもありがとう。好きだから嬉しい」
「す、好きって……」
「シチューが」
「……」
少しむっとしたような表情を見せた空を、俺は笑いながら抱きしめる。
「空のことは、愛しているから」
「……っ! し、知ってますから! 別に、気にしてないですからね!」
「はいはい」
空に着替えてくるように言われたので、素直にその言葉に従った。
スーツの上着を脱ぐと、すっかり肌寒い季節だ。
「……楽しみだ」
呟いて、ひとり微笑む。
今夜は空とくっついて眠ろう。そうしたら、きっと全部があたたかい。
部屋に流れ込んでくる、食欲をそそるシチューのにおいを嗅ぎながら、俺はそんなことを密かに思ったのだった。
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