17人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
確か隣のクラスの人だ。いつも周りに人がいるため、目立つ存在だった。自分の中でどうでもいい存在だったとしても、噂は否応なしに耳に入ってくる。
「怪我してない?」
何も言わない私を気遣うように言ってくる。
「ごめんなさい」
私は一拍遅れて返事を返す。慌てて散らばった紙を拾おうとして、はっとする。
1度目に会った時も同じような状況だった。床に散らばったファイルやプリントも以前と同じだ。ただ、前回動けないでいたのは相手の方だった。
(今回は大丈夫⋯⋯)
床に広がった授業のプリントを確認して胸を撫で下ろす。前回は恥ずかしいものを見られたからだ。
相手と目を合わせないようにしながら、次の紙を拾おうとする。ちょうど向こうもそれに手を伸ばした時だった。お互いの手がほんの少し触れる。その瞬間、ぱっと白い手が引っ込められた。
思いもよらぬ反応に驚き、私も固まってしまった。
「ごめん」
その人は感情の見えない声でそう短く言うと、拾ったプリントをこちらに押し付ける。
「大丈夫か、優樹」
遠くから友人らしき男子が声をかけてくる。優樹と呼ばれたその人は、大丈夫と答えながら立ち上がった。その姿を見上げたが、逆光で表情は見えなかった。そして、私が声を出す間もなく行ってしまった。
呆気ない。
スカートのホコリを片手ではらいながら、彼らの後ろ姿を見送る。
「朱音、どうしたの?」
クラスメイトの声がぼんやりと聞こえてくる。
たぶん一週間もすれば、あの人の顔をはっきりとは思い出せなくなるだろう。自分にとって、あの人はそのくらい薄い存在だ。
でも、きっと桜色は忘れない。私にとって、その色はそのくらい珍しい感情だからだ。
「ううん、なんでもない」
綺麗な薄紅色。
まだ名前を知らない感情の色は、雨の憂鬱さを追い払うように、または新しい高校生活を彩るように、唐突に私の前に現れた。
最初のコメントを投稿しよう!