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ダンスをしました
「ごめんなさい、お義兄さま。私、考えなしにものを言ってしまって」
思わずとっさに、言い返してしまったけれど、よく考えれば不敬きわまりない。
自分の失敗で迷惑をこうむるのは、義兄と父なのだ。相手が王太子ということを考えれば、ただ微笑んでいるだけのほうが、よほど賢かったのかもしれない。
「マリアは悪くない」
リチャードの声は優しい。顔は相変わらず仏頂面だけど。
「とりあえず、一曲踊るか」
「はい」
ちょうど流れてきたのは、スタンダードなワルツのナンバー。
リチャードの手が、私の腰に回される。
「そんなに緊張しなくていい。失敗しても大丈夫だから」
「はい」
緊張しているのは、ダンスのせいじゃない。
リチャードとの距離の近さだ。
密着している身体を意識してしまうと、あれほど覚えたはずのステップがとんでしまいそうになる。
それほど激しい動きの曲ではないのに、動悸が激しい。
「うん。マリアは上手だな」
優しく囁くリチャードの言葉は、妙に耳に近くて、息を感じる。
本当なら覚えたステップを踏むことに、集中しなければいけない。それなのに、顔が熱くなってきた。
はたから見たら、義兄とダンスしているにしては、私の様子がおかしいと思われてしまうかもしれない。
長くて、それでいて短く感じる曲が終わると、リチャードは私の腰から手を離した。
いつもの距離感に戻ったことに、ほっとしながら、少しだけ寂しいと感じる。
「疲れたか?」
「少し」
「ここで待っていろ。飲み物をもらってくる」
リチャードは、壁際に用意されたソファを指さした。
確かにのどがカラカラだ。ダンスそのものというよりは、相手がリチャードだったからなのだが。
「はい」
私はソファに腰かけた。
気持ちが落ち着いてくると、少し足が痛いなと思う。新しい靴のせいだろう。
音楽が軽快なものに変わって、皆が激しいステップを踏み始めるのが見えた。
うん。こっちじゃなくてよかったな、と思う。早いステップを踏んだら、確実に靴ずれを起こしていたと思う。
「おや、リチャードはどうした?」
「で、殿下!」
私は思わず立ち上がる。
いつの間にかやってきた王太子がきょろきょろと辺りを見回している。
「あ、義兄は、飲み物を取りに行ってくださって」
「ふうん」
王太子は頷き、それから私を上から下まで値踏みするように見た。
「やっぱり可愛いな。リチャードが過保護な兄貴になってしまうのも無理はない」
褒められているのだろうか?
なんといって答えていいのか困って、曖昧に微笑む。
「義兄に何か御用でしょうか?」
「いや、むしろ、君かな」
「え?」
王太子の手がわたしの手を取り、手の甲にキスを落とした。
「え?」
にこりと笑う王太子の顔に、私は固まる。
周囲の視線も感じるし、そもそも、王太子の笑顔には無言の圧がある。なんというかカリスマ的なものなのだろうか。逆らえない雰囲気だ。
「一曲踊ろう」
王太子に手をのばされる。
「でも」
「いいだろう? 一曲くらい」
足も痛いし、本当は遠慮したい。
でも、先ほどのこともあるし、下手に断ったら、義兄や父に迷惑がかかってしまいそうだ。
幸いステップは激しいものの、それほど身体を密着するような曲ではない。
私は頷いて、王太子とともに、再び踊りの輪の中に入った。
リチャードもダンスがうまかったが、王太子は、やはり王太子だけあって、リードがうまい。
ただ、もともとこの夜会の趣旨が『王太子の花嫁捜し』であるため、視線の集中砲火は先ほどの比ではない。正直、しんどい。
「へぇ。ダンス、うまいねえ」
王太子は楽しそうだ。私はいろんな意味で必死で、楽しむ余裕などない。
リチャードが相手の時とは違い、別の意味で、ものすごく緊張をしいられる。背中に常に冷や汗が流れている感じだ。足もだんだん痛みを増してきた。
「楽しかったよ。おつかれさま」
ようやく一曲終わると、王太子が耳元で囁いた。
「はい。ありがとうございました」
私は作法通りに頭を下げる。
「ほら、過保護な兄貴が待っているぞ」
王太子が指示した方に、飲み物のグラスを持って、所在なげに立っているリチャードの姿があった。
飲み物をとりに行って、戻ってきたら、私は王太子と踊っていたのだから、さぞや驚いただろうし、ひょっとしたら怒っているかもしれない。
「俺と踊っておけば、今晩はもう誰とも踊らなくてもいいよ」
王太子は軽くウインクすると、手を挙げて去っていく。
「マリア」
相変わらずリチャードの顔は無表情。声音も抑えた感じだから、全く感情は読めないけれど、多分怒っているような気がする。素直に怒れないのは、相手が王太子だったからだと思う。
「ごめんなさい。お義兄さま。飲み物を取りに行っていただいていたのに」
私は頭を下げる。
「いや、夜会を楽しむのも大事だ」
リチャードは持っていたグラスを私に差し出す。
「ありがとうございます」
私は楽しんでいたのだろうか。
どちらかといえば、へまをしないように気を張っていたから少しも楽しくはなかった。
グラスを受け取ると、私はそっと口をつける。
冷たいハーブティだった。
「さっき、殿下に何と言われた?」
「えっと。今日は、もう誰とも踊らなくてもいいと」
さっきとは、去り際のことだろう。
「なるほどね」
リチャードは得心したようだった。
ひょっとしたら、口説かれているように見えたのかもしれない。
「今日の夜会は、殿下と踊った後には、誰も誘わないだろうな」
王太子の花嫁捜しという名目の会だ。だから王太子が踊った女性は、他の男性は声を掛けにくいということなのだろう。もともと私に声をかける人間が他にいるとは思えないけれど。
「さすがに気を張っていたので、疲れました。私はこの辺りで座っておりますから、お義兄さまも夜会を楽しんできてください」
「疲れたなら、帰るか?」
「でも……来たばかりですし、お義兄さまも、私と踊っただけでは物足りないのではありませんか?」
私自身はもう帰っても構わないのだけれども。二曲もダンスを踊ったし、王族へ挨拶もした。やるべきことは全部やったとは思う。ただ、このままでは、リチャードは本当に私に振り回されただけになってしまう。
「俺は、マリアとしか踊る気はない。踊るなら、マリアと踊る」
「お義兄さまは本当に責任感の強いお方ですね」
今日は私をエスコートすると約束したからってことなのだろう。
「実は私、靴ずれしちゃって。だからお義兄さま、気兼ねなく楽しんで頂いて構いません」
「靴ずれ?」
リチャードの顔が明らかに変わって見えた。
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