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お怒りではない?
聞き間違えだろうか。
「あの、侯爵さま。本当によろしいのですか?」
私はおそるおそる確認する。
立場上、義理の妹だから、やむを得ないということなのかもしれない。そういうところ、すごく真面目で義理堅そうなひとだから。
「ご迷惑でしたら、ミリーお義姉さまには、私から話しておきますので、ご無理はなさらずとも」
「どういうことだ?」
リチャードの眉が、またつり上がる。部屋が一段と冷えた気がした。
私は思わずびくりとする。
「えっと。私のエスコート、お嫌なのではないかと。それに、既にお相手がいらっしゃるのであれば……」
しどろもどろになりながら、私は答えた。
父と義母はうまく行っている。ここで、リチャードと私が険悪な関係になるのは避けたいところだ。
「そんなことは言っていない。なぜ、姉上は名前で、俺は爵位なのだ?」
「え?」
どういう意味だろう。
ミリーのことを、ミリーお義姉さまと言ったことだろうか。
ああ、そうか。ミリーのなつっこい人柄でつい忘れてしまうけれど、伯爵夫人であり、私よりずっと身分の高いひとだ。
「すみません」
私はもう一度頭を下げる。
「伯爵夫人には私がお伝えいたしますので」
言い直しながら、なんか泣きたい気分になってきた。
暖炉の薪がパチリと音を立てる。
部屋はだいぶ温まってきたけれど、少しも温かいと思えない。
「違う。えっと。そうじゃない。逆だ」
リチャードが首を振る。私の様子を見て、困ったような目をしている。責めていたわけではないらしい。
ということは、逆ってつまり、名前で呼べということ?
「リ、リチャードお義兄さま」
かなり勇気が必要だった。怒られたらどうしようと思うと、ただ呼ぶだけで、声が震える。
全身が緊張でこわばった。
「ふむ」
少しだけ、リチャードの口角が上がる。
えっと。ひょっとして、笑った、のかな?
「それでいい。俺は、一応、お前の義兄になったのだから、前から侯爵と呼ばれるのに違和感があった」
「……そうなのですね。申し訳ありません」
私は謝罪する。
そうか。生真面目に父を父と呼ぶのだから、案外、そういうことを大事にしているひとなんだ。
「だから、そうやって、何度も頭を下げなくてもいい。俺はあまり、女性と話すことが得意ではないだけで、怒っているわけではない」
そうなの? 今まですごい無愛想だったのは、嫌われてたわけじゃなかったんだ。ちょっとホッとする。
「では、本当にエスコートしていただけるのですか?」
半信半疑でもう一度確認する。
「あたりまえだ。それとも、他にあてがあるのか?」
「いえ、ありません」
私はぶんぶんと首を振る。
「それでは、本題に入ろう」
コホンとリチャードが咳払いをする。
「本題?」
思わず問い返す。
「夜会に向けての打ち合わせだ。何をしに来たと思っているんだ?」
「打ち合わせ?」
何のことだろう。
何か、口裏を合わせるとかしないといけないのだろうか?
「ドレスの用意はしたのか?」
「……まだです」
そもそも、欠席しようかなと思っていたのだし。ドレスも相談する必要があるのだろうか。
「おそらく、かなりの人間がマリアに注目をする。王太子にも挨拶をせねばならぬ。恥をかかぬように、しておかねばならん」
「はい」
そんな真剣な顔で言われると、行きたくなくなる。不安でいっぱいだ。
「心配するな。準備をきちんとしておけば、マリアは、社交界の大きな華となれる」
「華にですか?」
そんなものにならなくてもいいから、とりあえず、みなに恥をかかせないようにはしたいとは思う。無事乗り切ればそれでいい。
「ああ。お前は美しいからな」
「え」
真顔でさらっと言われて、つい胸がドキリとしてしまう。
思わず、顔を見るも、リチャードの方は、いたって平常運転で、お世辞でも口説き文句でもなかったらしい。
そうか。このひと、家族に意外と激アマ路線なのかも。
たとえ義理でも、妹だから、とにかく可愛いってモードにはいったとか。
とはいえ、相変わらず、リチャードの表情筋は仕事していない。別に棒読みってわけじゃないから、顔に感情が出せないタイプなんだろう。
「明日から、先生をつけよう。ダンスに、所作、言葉遣い。ドレス代も俺が出すから、お前に一番似合うものを作るといい」
「へ?」
待って。そこまでしないといけないの? 現在の私、そこまでダメダメってこと? 一応、子爵の娘として恥ずかしくないようには、教育を受けてきたつもりなんだけれど。
「あの……ひょっとして、お義兄さま。私が王太子さまに見初められて欲しいとか、思ってます?」
血はつながってないけれど、政治的な駒にすることはできなくもない。
私が王太子に嫁げば、当然、義兄であるリチャードは政治的に重要なポストに就ける可能性が高くなる。
「そんなことは、全く思ってはおらん。殿下は、政治家としては優れてはいるとは思うが、失礼ながら男としては信用してない。そもそも、婚約者候補は何人もいるにもかかわらず、結局きめかねているというのは、優柔不断にもほどがある」
ふん、とリチャードは鼻を鳴らす。
「婚約者候補がたくさんいらっしゃるのに、夜会で嫁捜しをするんですか?」
「まあ、殿下としても、今の候補者は全てに派閥があって、政治的にやりにくいと感じているんだろうがね」
「はあ」
とりあえず、王太子殿下は、女好きか引っ込み思案のどっちかなのかな。リチャードの様子から見ると、ひょっとしたら女好きなのかもしれない。
「殿下に見初められる必要はないが、それくらいの気概で行くといい。そうすれば、良い相手がみつかるだろう」
リチャードは口の端を上げる。
どうやら、微笑んだようだった。
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