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お義兄さまは、世話好き
義兄のリチャードがエスコートしてくれることに決まったので、急ピッチで、夜会に向けての準備が始まった。
ドレスは義姉のひいきにしている仕立て屋さんに頼んだ。もっとも私は、採寸してもらっただけで、ドレスはほぼ義姉が選んだのだけど。なんかすごく高価なものになってしまって、震えている。
ちなみに私のドレス代を義兄が出すか、父が出すかで、ぷち揉めたらしいが、半分ずつ出し合うことで落ち着いたらしい。私としては、ドレスをもう少し安くして、父に全額出してもらった方が、心穏やかだった気がする。いくら良いと言われても、やっぱり義兄に甘えるのは気が引けてしまう。もっとも義兄のほうには、侯爵としての意地があるらしい。
それに、エスコートする以上、おかしな格好はさせられないってことなのかもしれない。
目下の私の課題は、貴族名鑑の暗記。
貴族の血縁関係とか領地の情報が頭に入っていると、社交界でトラブルに巻き込まれることが少なくなるらしい。
理屈はわかるけど、すごくたいへんだ。
リチャードは、あの日を境にひんぱんにうちに来るようになった。
私が毎日、きちんと学んでいるかどうかが気になるらしい。
今日は、一緒に夕飯も食べた。
リチャードはまだ独り身である。もちろん、使用人はたくさんいるから孤独ってことは全然ないと思うけれど、意外と『家族』ってものを大切にしているひとなのかもしれない。
私には今まで兄弟はいなかったから、よくわからないけれど、お兄さんってこういう感じなんだな、って思うようになった。
相変わらず、表情筋は仕事をしていないけれど、非常に面倒見がいい。若干、表情だけじゃなくて、言葉も少し足りないから、ある意味、すごく損をしていると思う。
ただ、声には、優しさがにじんでいる。それに最近は、ほんの少しずつだけど、表情の変化に気がつけるようになったから、怖くはなくなった。
「マナフィル公爵とルゼナ公爵の関係は?」
「従兄弟です」
応接室に腰を掛け、私はリチャードの問いに答える。一人で覚えるのは大変だけど、リチャードといっしょにやっていると、ちょっと楽しい。
最近はかなり遅くまでうちにいることもある。いっそ泊まって行けばいいのにって思うけれど、お仕事とかいろいろあるのだろう。それに、ステップファミリーって、これくらいの距離感がいいのかもしれないなあとも思う。
「お茶をお持ちいたしました」
侍女のケイトが扉をノックする。
「すまないな。よし。マリア、休憩にしよう」
リチャードが少しだけ口角をあげた。
ものすごくわかりにくいけれど、これは、微笑んでいる。
「はーい」
私は大きく手を上にしてのびをした。
ケイトがカップにお茶を注ぐ。
「あら、とてもいい香り」
お茶から芳醇な香りが立ち上る。甘くて、優しい気持ちになれるような香りだ。
「はい。こちらはリチャードさまからの差し入れです」
ケイトがにこりと微笑む。
「まあ! ありがとうございます! お義兄さま」
「ああ」
言葉少なく頷くリチャード。よく見ると、若干、頬が赤い気もする。照れているのかもしれない。すごくわかりにくいけれど。
「マリアは紅茶が好きだと、母上から聞いたのでな」
「本当にありがとうございます」
なんか私、すごく甘やかされていると思う。ここまでしてもらっても、私には返すだけのものがない。
それこそ、良いおうちに嫁いで、リチャードの出世の役に立つことくらいしか思いつかない。
そして夜会が終わったら、この時間は無くなっちゃうのかもしれない。
もちろん、義兄妹としての関係は続くのだろう。けれど、ここから先、ずっと私のエスコートをさせるわけにはいかない。
将来的には、義兄は義兄の、私は私のパートナーをきちんと別に探すことになる。そう思うと、寂しさで胸が痛い。
「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもないです」
私は慌てて微笑んだ。
リチャードは、他人の表情の変化によく気が付く。本人は無表情だけど、周囲はすごく見えているのだ。
「これ、とてもおいしいです」
私は紅茶を口にする。本当に上品な味だ。リチャードは、教えてくれる立場なのに、わざわざ、私のために差し入れを持ってきてくれるとか、甘やかしすぎだと思う。
お茶を入れ終わると、ケイトがほんの少しだけドアを開けて、部屋から出て行く。
一応、兄、妹とはいえ、血のつながりのない男女だからということなのだろう。
「そうか。気に入ってくれてよかった」
安堵したような優しい声。
顔は相変わらずあまり変化はないけれど。声音には、感情がにじんでいる。
「お義兄さまは、モテるのですか?」
「は?」
リチャードはほんの少しだけ目を見開いた。驚いたらしい。
「だって。侯爵さまですし、背も高くてカッコいいですもの。エスコートしてもらうと、他の女性のかたに羨ましがられたりするかなあって、ちょっと思ったので」
「それはないんじゃないか?」
リチャードの言葉は苦い。
「俺はどっちかというと女性に避けられる印象があるのだが」
「避けられているからと言って、モテないとは限らないと思うのです」
そもそも、リチャードは二枚目である。表情筋は壊滅的に仕事をしていないけれども、無表情でも端整な顔には違いない。クールに見えて、そこがいいっていうひとも多いかもしれない。
それに、ちょっと仲良くなってくれば、表情が乏しいだけで、感情は豊かで優しいひとだとわかる。モテないわけはないと思う。
「俺といっしょに歩いていても、妬まれるようなことはないだろう。そもそもお前と俺は義兄妹なんだし」
「……そうですね」
私は頷く。
そうだ。私たちは義兄妹だから。これから先も、ずっとつながって行ける。
でも。
なんだか、少し寂しい気がするのはなぜなのか。
「妬まれるのは、むしろ俺の方だな」
リチャードが呟く。
「マリアは美人だから」
相変わらず、リチャードの表情は無表情なのに、言葉は甘い。そして、この言葉はお世辞でもなく、口説き文句でもなく、身内ゆえの甘さだ。
だから、ここでドキリとかしてはいけない。父親に言われたのと同じだと思わないといけない。いけない、のに。
なぜか私の胸が騒ぎだす。
「じゃあ、王太子殿下に見初められるように頑張りますね!」
私は冗談めかして笑う。
「……そうだな」
頷いたリチャードの表情を読むことはできなくて。
それがなぜだかとても、悲しかった。
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