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夜会へ
あっという間に夜会の日となった。
私は鏡の前に座り、侍女のケイトに髪を結ってもらう。
「ケイトは器用ね」
「侍女の嗜みですよ。マリアさまの、デビューですもの。私も気合いを入れております」
「ありがとう」
鏡に映る私の顔が、化粧で変わっていく。
ややくすんだ金髪は、サイドに編みこみを入れて、アップにしてもらった。
髪留めは、瞳と同じ、青い色。
ドレスは、エメラルドグリーン。胸元には美しい刺繍もはいっている。
「似合っているかしら」
「本当によくお似合いですよ、マリアさま。リチャードさまもきっと驚かれるでしょう」
ケイトが自信たっぷりに微笑む。
「お義兄さまに、恥をかかせないようにしなくっちゃ」
「大丈夫ですよ。マリアさまなら、きっとうまくできます」
「ええ」
ケイトに励まされ、私は背筋を伸ばす。そのために、今日まで頑張ってきたのだ。
「本当に、王太子殿下に見初められてしまうかもしれません」
ケイトが冗談めかして、そんなことを言う。
「あら。もしそうなら、お義兄さまのおかげね」
さすがにそんなことにはならないと思うけど。どんなにめかしこんでも、私は子爵令嬢だ。にじみ出るものがきっと違う。
義母も義姉も、私と違って、所作が優雅だもの。生まれ育ちが全てではないとは思うけど。
「ただ、そうなった場合、リチャードさまがお喜びになるかどうかは疑問ですけど」
なぜか、ケイトは苦笑した。それは、王太子さまのお人柄の問題ってことなのかと、聞こうとしたら、ドアをノックする音がした。
「マリアさま、お迎えが参りました」
ジェイムズだ。
わざわざ迎えに来てくれたリチャードを待たせるわけにはいかない。
「さあ、マリアさま、楽しんできてくださいね」
ケイトに背中を押されて、私は立ち上がる。
足が何となく動きにくいのは、靴がおろしたてのせいなのか、緊張のせいなのか。自分でもよくわからなかった。
玄関を出ると、リチャードが待っていた。まだ、日暮れ前なので、空は茜色に染まっている。
柔らかい光に照らし出されたリチャードは、まるでおとぎ話の王子さまのようだった。
夜会用の三つ揃いの服がとても似合っている。不覚にも、胸がときめく。
義兄に、ときめいてどうするというのだ。我ながら、不毛なことだと思う。
「お待たせしました」
「……ああ」
「今日はよろしくお願いいたします、お義兄さま」
私は丁寧に頭を下げた。
「うむ。あまり俺から離れないようにな」
リチャードの口調は、子供に言い聞かせているかのようだ。でも、実際、私は今日が初めての夜会だ。子ども扱いされて当然なのかもしれない。それに、リチャードは保護者として、私をエスコートするのだから。そう思うと、胸がなぜだか痛い。
でも、義理の兄妹でなかったら、きっと見向きもされないだろうとは思う。本来はずっと遠いひとだったはずなのだから。
だから義兄妹でなければどうなったのだろう、なんて、考えるだけ無駄なのだ。義妹として、大切にされている現在を喜ばないといけないのに。
「リチャード、マリアをよろしくね」
見送りに出てきてくれた義母のエレナが、リチャードに声を掛ける。
「わかっております」
優しい声で頷く。相変わらず、表情は硬いままだけど。わざとでもなんでもなく、本当にそういう人なのだとわかっている。
送迎の侯爵家の馬車は、二頭立てだった。黒塗りの車体に、金の縁取り。侯爵家だけあって、うちのものより、やっぱり見た目も豪華。こんな馬車に乗れるだけで、お姫さま気分である。
私たちは中に乗り込むと、二人で並んで座った。いくらうちのものより広いとはいえ、やはり馬車の中は狭い。
義兄妹だから意識するのはおかしいのだけれど、やっぱり近すぎる距離にどきどきしてしまう。でも、リチャードは、気にしていないのだろう。ずっと窓の外に目を向けている。自分だけ意識しているのが、すごく悪いことのような気がして、私も膝の手をじっとみつめていた。
馬車は、石畳の上をゆっくりと進む。車窓の景色が、徐々に暗くなってきた。
「わっ」
車輪が小石にでものったであろうか。
馬車が一瞬跳ねて、私の身体が扉の方に倒れ掛かった。
「大丈夫か?」
リチャードの手が伸びて、私を支えてくれる。恰好的に、背に手を回されて抱き寄せられたようになった。
「……はい。大丈夫です」
胸がドキドキする。
「この辺は、結構揺れる。舌を噛むなよ」
「はい」
リチャードの言うとおり、馬車はガタガタと小刻みに揺れ続ける。
しばらく揺れるということなのだろう。私の身体はリチャードに抱き寄せられたままだ。
思わず、見上げても、リチャードの顔は相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。
優しい義兄は、幼い子供を守っている感覚なのだろう。
その優しさは、私の求めているものとちょっと違って、胸が少し痛くなった。
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