王太子殿下にご挨拶

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王太子殿下にご挨拶

 生まれて初めて、王宮のホールに入る。  豪華なシャンデリアに灯されたろうそくの明かり。壁際にかけられたランプで、夜とは思えないほどの明るさだ。  そして着飾った紳士淑女たち。ホールの奥には楽団がいて、優雅な音楽を奏でている。  私はリチャードの腕に手を置いて、きらびやかな世界へと入って行く。 「なんだか、すごく視線を感じます」 「気にするな」  入ってすぐ、かなりの女性の視線が私に向いたのがわかった。正確には、私、というより、リチャードなのだろうけど。  予想はしていたことだけれど、長身で二枚目のリチャードは、かなり注目を浴びている。  私がリチャードの義理の妹であることは、たぶんみんな知っているだろうから、嫉妬なんてないとは思う。  けれどリチャードは、若き侯爵で独身。かなり無愛想というか、あまり表情のないひとではあるけれど、二枚目だ。適齢期の女性たちの注目を浴びることは、全然不思議ではない。いくら今日の主役が王太子だとしても、人気があっても不思議ではない。  もっとも、リチャードのほうは、相も変わらず、まったく表情筋が動かないので、何を考えているのかもわからないけれど、たぶん注目を浴びることに慣れきっている感じだ。 「あ、きたきた! マリア、こっちこっち」  水色のドレスをまとったミリーが手を挙げた。  私は、リチャードと共に、そちらへと向かう。  ミリーは、夫である、伯爵と一緒にいた。 「えっと、こちらが、デナス公爵夫人、そして、バラド伯爵ね」  次々に紹介された貴人たちに、私は挨拶をする。  うん、全員、覚えていられるかどうか不安だ。 「えーと、次は」 「姉上、そろそろ王室の方々に挨拶にまいりますので」 「あら。そうね。今日はそちらがメインだったわね。がんばって、マリア」 「はい」  リチャードの言葉で、ようやくミリーから解放された。三十人は会った気がする。 「社交というのは大変ですね」 「姉上は特別だ。百人単位で友人がいる化け物だからな。俺には真似できない」  リチャードは苦笑する。  姉弟でも随分違うということらしい。 「こっちだ」  リチャードに手を引かれて、ついていくと、いっそうきらびやかな人たちが椅子に腰かけていた。  王と、王妃だ。そして、その前に立っているのは、王太子であろう。さすがに肖像画でみたことがある。 「本日はお招きありがとうございます」  リチャードが頭を下げるのに合わせて、私も頭を下げる。  さすがに、緊張で足が震えた。 「ほほう。その娘が、マーロウ子爵の娘か」  立派なひげを蓄えた威厳のある中年男性、国王陛下が笑みを浮かべている。父は陛下に名前を憶えていただいているらしい。もっとも元侯爵夫人を射止めた子爵ってことで、仕事方面ではないかもだけど。 「はい。マリアと申します」  私は声が裏返りそうになりながら答えた。 「まあ、綺麗な娘さんねえ」  優しい微笑をたたえた美女は、この国の王妃。 「……ありがとうございます」  リチャードが丁寧に礼を述べた。 「へぇ。随分と可愛いな」  突然、私の顎に王太子の手が伸びる。急に間近に王太子の顔が寄ってきて、どうしたらいいのかわからず身体がかたまる。 「殿下。ふざけるのはやめていただきたい」  いつになく厳しい口調で、リチャードが私と王太子の間に割って入ってくれた。心底ほっとする。 「別にふざけてはいない。可愛いから、可愛いと言っただけだ。可愛い義妹ができたからって、ぴゅーぴゅー兄貴風ふかすな」  王太子が肩をすぼめる。  ああ、なるほど。このひとは、私に興味があるふりをして、リチャードをからかっているのだ。リチャードは顔にこそ出ないが、真面目で素直なひとだ。よく知っているからこそ、その反応を面白がっているのだろう。 「お褒めのお言葉、ありがとうございます。お世辞でもうれしゅうございます」  私は、義兄の隣で微笑む。 「世辞ではないんだがなあ」  王太子は私とリチャードの方を見て、くすくすと笑う。 「鉄面皮のリチャードの表情が変わる瞬間ってのは、なかなか興味深い」 「殿下!」  リチャードの鋭い声にびっくりする。珍しくやや目がつり上がっている。 「殿下、お義兄さまは真面目なんです。おからかいになるのはやめてください」  私は王太子を思わずにらみつける。 「ほほう。俺がからかっていると?」 「マリア!」 「殿下が私に興味を持つふりをなさるのは、お義兄さまがいるからです。それ以外に考えられません」 「へぇ。随分と、自己評価が低いねえ」  くすくすと王太子が笑う。 「よしんば、私の容姿を多少気に入ってくださったにせよ、殿下のお立場で、子爵の娘など面白半分で相手になさるような短慮なかたではないと思います」 「マリア、やめなさい」 「……申し訳ございません」  リチャードにたしなめられ、私は謝罪した。謝る必要はない気がするんだけど、下手に意地を張ると、リチャードに迷惑をかけてしまうかもしれない。 「面白いなあ。マリアちゃん、保護者が必要なくなったら、俺のところにおいで」 「いけないわ、レイノルド。みっともない」  王妃が脇から声を掛ける。 「そうだ。ラレン侯爵みたいな真面目な男をからかってはダメだ。その娘は、やめておけ」  王も王太子を諭す。  陛下も、義兄の真面目さをわかっているのだろう。 「わかったよ。しかし、リチャード、お前は、マリアの義兄(あに)だってことは覚えておけよ」 「言われなくともわかっております」  リチャードが頷く。  その表情は読めない。  リチャードは、私の義兄。王太子の言葉は、私の心に釘を刺す。  私は義妹であり続けなければいけない。育ちつつある想いは、気づいてはいけないものだ。  王太子に頭を下げながら、私はそっと唇をかみしめた。
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