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食堂に向かって歩きながら、カゲが言った。
「なあ。この家って現金あんのか? やっぱジジイの部屋か?」
ヒカリは、これを華麗にスルー。
直接訊く方がどうかしてるのだ。
(仕方ねぇ、もっかい自力で調べるか)
財界のトップに君臨する胡桃沢家だ。現金以外にも、金になるものは山ほどあるだろう。
(こうして見ると、そう悪くはないのよね……)
一方のヒカリも、カゲの横顔を盗み見て考え事をしている。この屋敷に盗みに入った時はだらしなく不潔な印象であったが、こうして不揃いだった髪を整え、護衛用の黒服に身を包んでみると──。
悪くない。
シャープな輪郭。鋭い目元は、護衛としては頼もしくも見える。意外に綺麗な横顔を眺めながら、ヒカリはあの日のことを思い出していた。
──屋敷を汚されたくなければ、トイレ貸しな!
あの時カゲは、自分にナイフを突きつけてそう言ったのだった。内股の足は、仔鹿のようにプルプルと震えていた。
「……やっぱないわ」
一度地に堕ちたイメージは、二度と回復することはない。
(やっぱり奏斗様がいちばん素敵。カッコ良くて清潔感があって、言うこともやることも超スマートなんだもの)
カゲが突然踵を返した。
「な、どこ行くの?」
さっきの「ないわ」が聞こえたのかと、少々焦るヒカリお嬢様である。
「ヤボ用だ」
早速のトイレだ。
これでもまあまあ我慢した方である。
(この後、時間がないかもしれない……!)
護衛はお嬢様を学校へお連れし、さらにその後のお世話もしなくてはならない。その間のおトイレが心配だ。
お食事中の方、大変申し訳ない。しかし。
彼は尋常じゃないほどトイレが近く、とにかく日々大変な思いをしているのだ。
しかし、彼の尿意はある種のセンサーでもある。様々な危険を知らせるセンサーだ。盗みを実行する際には特に役に立つ。トイレを探して彷徨うことで、追手から逃れることも可能だ。実際、カゲは何度も自分の尿意に救われているのだ!
もっとも、ヒカリと出会った時にはセンサーの調子が少々狂っていたようだが──。
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