ピアノ王子

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 ☆☆  広いダイニングに、ドラマや映画に出てくるような長いテーブルが鎮座している。  今朝は洋食だ。フワフワのパン、野菜スープにスクランブルエッグ、フレッシュジュース。一流ホテルから引き抜かれた料理長が、材料からこだわって腕を奮っている。  ところで。胡桃沢家では、主人も使用人も全て同じ食卓について食事を共にするのが慣例である。  当主・胡桃沢春平(くるみざわしゅんぺい)が、ヒカリの寂しさが少しでも紛れるようにと提案したのだ。  ヒカリの両親は、不慮の事故で亡くなっている。ヒカリが小学校へ上がった頃のことだった。  春平にとっては息子夫婦を失ったことになる。遺されたヒカリは大事な孫だ。あの事故以来、溺愛ぶりに拍車がかかっている。  「何だよ、朝っぱらからこの曲は? ここは地獄か」  後から入ってきたカゲが小指で耳を掘りながら、うんざりとした声を上げた。ダイニングルームには、先ほどからクラシック音楽が流れている。奏斗様のピアノ演奏を収録したCDである。  「お黙りなさい!」  既に席についているヒカリは、パンを片手にカゲを睨んだ。  「ねーえ、橋倉。この曲は?」  「フレデリック・ショパンの『練習曲第12番ハ短調作品10-12』。いわゆる『革命のエチュード』ですな」  例によって、万能執事が即答する。  「素敵だわ、奏斗様」  うっとりと目を輝かせるヒカリを、祖父の春平や使用人らは温かく見守っているようだが。  (茶番か)  激しく叩きつけるような音が降ってくるダイニングルームで、カゲ以外の全員が爽やかな表情でパンを食べ、スープを飲む。  芸術に疎いカゲは、クラシックなど聴いても眠くなるか暗くなるか、トイレに行きたくなるかのどれかだ。特に『革命のエチュード』の激しさは膀胱が急き立てられる。  (せっかくトイレ行ってきたのに!)  悪くない生活だったのに、とカゲは嘆く。早起きと護衛が面倒だが、美味い食事にありつける。  しかし、お嬢様がピアノ王子に目をつけて以来、頭の痛くなるようなピアノ曲ばかり聴かされるようになった。  (早いとこ金を引き出さねえと)  カゲがフレッシュジュースを一気に飲み干した時。屋敷内に、ドタバタと足音が響いた。  「会長!!」  
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