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脂ギッシュな中年男性が、大きな腹を揺すりながら走り込んで来た。春平は顔をしかめる。
「何じゃ、朝から騒々しい」
財界のトップに君臨する胡桃沢家は、多数の事業を手がける。しかし、春平が外へ出ることはほとんどない。実際に動いているのはこの脂ギッシュな中年男性、胡桃沢厚。ヒカリの伯父に当たる人物だ。
事故で亡くなったヒカリの父には姉と妹がいる。厚は父の姉、秋子の夫。婿養子である。名前の通り全身が分厚い。
「新しく立ち上げた警備会社の名前ですよ! お願いですから止めてください、『ペコム』なんて!」
厚の悲壮感漂う叫びは、ダイニングルームに流れるショパンの『革命』に妙にマッチしている。
「そんなことか」
春平は心底面倒くさそうに、海苔のように黒々とした髪を撫でた。
「おじいちゃん、また会社作ったの?」
「そうなんじゃよー。R警備保障が気に食わんから、儂が作っちゃった」
ヒカリには、とろけるような笑顔を向ける春平である。パリッとした白いシャツを着こなす春平は、『財界の鉄人』の異名に相応しく矍鑠としている。
春平とR警備保障の会長は、何故か昔から折り合いが宜しくない。恩を売るためにR警備保障を利用していたものの、気に食わなくて警備システムを切ってしまったのである。
今、泥棒がこの屋敷で平然と過ごしているのは、ジジイ同士の喧嘩が原因であった(シリーズ1参照)。
「ヒカリちゃんからも言ってくれ! 『ペコム』なんて軟弱な名前」
「『ペコム』っていうの? カワイイよ、おじいちゃん。キャラクターとかを作ってみたら?」
ヒカリが身を乗り出すと、春平は「そうじゃなあ」と相好を崩す。
「警備会社の名前なんだよ……?」
もう、誰も厚の話を聞いていない。
絶望的な響きをもって、ショパンの『革命』が終わりを告げた──。
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