一章『就職拒否編』1

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一章『就職拒否編』1

 目をあけると、広大な自然が広がっている。  木陰で昼寝をしていたために、木の幹になっていた実が視界に入る。あれは食べられるのだろうか。  ああ、そうだと思い出す。ここはもう異世界なんだ。無理に会社にいかなくてもいいし、それで過労で倒れることもない。  仲間もいないし、娯楽もすくない。食べ物も自分であつめなきゃならないし、モンスターはうじゃうじゃいる。  だがそれでも俺はここで静かに暮らし、そしてひそかに余生を過ごす。  【神様】にならないために…… 1  あれ、身体がうごかない……。  どうしよう、これから会議があるのに。  コンクリートに這いつくばりながら、そんなことを思った。  まわりの人間たちが悲鳴をあげ、近づいてくるのがわかった。しかし意識は遠のいていく。  俺は羽田良杉(はたらすぎ)畜冶(たくや)、三十歳の男だ。長年平社員だったが実力を見込まれ、若き天才社長の右腕として働いていた。いわゆるイケイケの社畜(しゃちく)というやつだ。  しかし見込みが甘かった。社長はあまりにカリスマがすぎ、次々と新たな仕事を持ち込んでくる。激務に次ぐ激務で、ついに俺は五年間1826連勤という人間離れした快挙を成し遂げる。  今日の仕事が終われば数年ぶりのまともな睡眠にありつける――はずだった。  それがこんな街中の、横断歩道の上でとうとう耐えきれず寝てしまうなんて。  次に目を覚ますと、なにもないところにいた。病院かとも思ったが、そうではないらしい。なにもないというわけではなく神々しい壁や柱があるようだったが、白い霧がかかっていてよく見えない。  自分の目の前に、不思議な着物を着た老人と、胸がはだけるほど少ない布しか身に着けていない女性が立っていた。  病院の先生とナースにしては、様子がおかしい。仮装大会でもしていたのだろうか。 「――というわけで、君は死んでしまった」  老人がのほほんと言う。 「死んだ?」  俺は真面目に聞き返す。 「うむ」 「ハタラスギタクヤ。五年間1826日会社に通い、心筋梗塞と脳卒中を同時に引き起こし、横断歩道の上で安らかに死亡」  布のナースさんが巻物のような長い紙を読み上げる。 「過労ね」  と、彼女は言った。 「でもすごいわ。なかなかできることじゃないもの。仕事っぷりもなかなかのものだし、いい素質があるわ」  なんの素質なのだろう。聞こうとも思ったが、そんな気にはなれない。  彼女の情けをかけるような目をみて、俺は瞬時に理解した。――ああ、俺は道路の上で眠くて気を失ったんじゃない。たしかにあのとき、頭と胸がひどく痛んだ。あんなことははじめてだった。 「あなたたちは……神様みたいなもの、ですか?」 「そんなところだが、それに近い存在とでも答えておこうかの」  呆然となる俺の問いにも、老人は気前よく答えてくれる。 「……これから、どうなるんですか」 「うむ。それなんじゃが、君にはちょっとやってもらいことがあるんじゃよ」 「やってもらいたいこと?」 「ずばり言おう。君は神様になれる可能性がある」 「か……神様?」  老人――いや、仮に老神さまと呼ぶか。彼はそんなことを言ってきた。 「神格ではないが、それに次ぐ者じゃよ。その資格は十分にある」  資格、ってなんの話だ。小学生のころ取った英検3級くらいしか目立ったものは持っていないぞ俺は。あと漢検もあったかもしれないが忘れた。  女神がふたたび紙を持って、読み上げる。 「あなたがなれる神――それは」  さすがに俺も、息を呑んだ。 「社畜の神」    ――は?  ……社畜、の神?  だがたしかに、彼女は言った。 「なんかすごいイヤな神様なんですが……」  神様になれるときいて、ほんのすこしだけでもどんなものかと期待したのは間違いだった。  社畜の神様……あまりに、あまりに嬉しくない素質だ。 「嬉しいだろう。君の大好きな仕事がこれからもたくさんできるぞ」 「いや、ちょ、待ってください別に好きなわけじゃ――」 「わしらとしても新しく神格が入ってくれれば楽になるんじゃよ。こっちにも事情があってのお」 「新卒の神格ですね」  女神が言う。 「じゃのお。新卒で神格じゃ」  二人は楽しそうに声をあげえて笑った。こっちはおいてけぼりなんですが。 「だが今すぐにというわけではない。君が社畜の神になるための試練(シレン)、君にわかるように言えば研修があるんじゃ」  わかるように言わなくていいです。ていうか試練だなんて、俺の嫌いな言葉ベスト30くらいには入りそうだ。 「あいにくですけど、やっぱり俺神様なんて――」 「まあシレンといっても、ようするに神様としての力をさらにたくわえてもらうだけじゃから、他のところでまたがんばってもらうということなんじゃがのお」  老人の言葉に、俺は言葉を止めた。 「――他のところで?」 「うむ。君が神になるにはもうほんのすこしだけ力が足りんのだよ。試練と言うのは、また命を持って下界で修行してほしいってことなんじゃ」 「命……」  それって…… 「い、生き返れるってことですか?」 「さよう。……試練を受けるならば、じゃがな。さすれば今度の君は、社畜の神として完璧になれるじゃろうて」  俺はさすがに慌てて、考えた。チャンスだが、社畜の神というのには抵抗があるのもたしかだ。 「あの、俺、あまり自信がなくて。社畜の神、と言われても。だから、シレンを受けても、たぶんなれないと思うんですが、それでも受けること自体はできるんでしょうか」  いつのまにか俺は姿勢をただし、まるで、面接の受け答えのようになってしまった。 「ああ、ぜんぜんオッケーじゃよ。そんな肩肘はらんでええ。事務的なことでもあるしな。それにシレンと言っても君はもうほとんど神クラスの素質があるし、ちょろっとがんばって生きてればすぐになれるじゃろう。……社畜の神にの。ほっほ」  神、とやらには興味がない。  ましてや社畜だって望んでなったわけじゃない。  だけど、迷いもある。  けっきょく恋も、結婚も、子供もできないまま仕事に人生をささげて死んでしまった。貯めたお金だってあまり使っていない。後悔ばかりだ。  もしまたチャンスがあるなら、そういう思いはある。 「自分が神様になるかどうか、最後には決めれますか?」 「……むろんじゃ。これは権利じゃからな、君が決めるといい」  老神は俺の考えをさとったか、おだやかに微笑んだ。    ――また生き返って力をつけることがシレン。シレンを終えても、別に神になる必要はない。  俺は……  俺が出した答えは……
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