昭和二〇年三月

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 残された婆さんは地面を見ていた。杖は落としたのだろうか、持っていなかった。脚がぶるぶると小刻みに震えていた。  俺は婆さんの正面に近づいたあと、そうだ、こいつは俺の目が冷たくて嫌いなんだっけと思い出した。  すぐに背を向けてしゃがみ込んだ。  だが、なかなか肩に手がかからない。 「早く乗れ」  婆さんの方を見ないよう、よそを向きながら言った。  震える腕が首に回され、軽い体重が背に乗っかる。枝のような両足をしっかり脇に挟んで体を密着させてから、親父達を追って駆け出した。  すぐには気づかなかったが、耳元で婆さんが何やら呟いていた。消え入りそうな声だった。  ――なんで、なんで。  なんでお前は私を連れて行く。  なんでお前が助けてくれる。 「……? なんでって、あんたはいつも妹達の面倒を見てくれるじゃねぇか。これくらいするよ」  答えると、婆さんは沈黙した。  その代わり、うう、ううう、と呻き始め、それがいつまでもなかなか止まらなかった。 「どうした」  訊いてもいらえはない。  何も言えないほど足が痛むのかと想像し、あまり力を入れすぎないよう注意しながら走り続けた。
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