昭和一九年七月

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     二  夜更けになって、頬をごく軽く叩かれた。魚の匂いの染みついた、かさかさした手のひらだった。  空襲警報は鳴っていない。訝しんで目を開けた。虫の声と暗闇の中、もんぺの両膝を地面につき、俺の顔を覗き込むお袋がいた。  ――(かい)。もういいから、部屋に上がりな。いつまでもこんなとこで寝てたら風邪ひくよ。  小声でそう言った。お袋は極度の撫で肩で、いつもろくろ首のように首が長く見えた。ぐんにゃりと下向きに曲がった首から、解いた髪が幾筋も垂れ落ちて、俺の顔をちくちくと掠めている。  俺は反対側に寝返りを打った。下膊(かはく)にくっついてきた砂利が顔の前をぱらぱら落ちていく。夕方より地面の温度が冷えて、土の匂いも濃くなっているのがわかった。  目をつむると、今度は肩を揺さぶられた。魁、魁。 「……」  ちゃんと布団で寝な。父ちゃんの言ったことなら、もう気にしなくていいから。 「……」  父ちゃん反省してたよ、きつく言い過ぎたって。だって、別にあんたが(りつ)の弁当箱に金蛇(かなへび)入れたわけじゃないんだし、ふきを転ばしたわけでもないんだから。  ほら、早く来な。お腹すいてるだろう。少しだけど、夕飯取っておいてあるから……。 「……」
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