昭和一九年七月

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 土間までついて行くと、塩むすびがひとつ、沢庵(たくあん)が二切れあった。  奥歯の抜けたばかりの所にあえて沢庵を置き、具合を確かめながらポリポリ噛んでみる。その間、お袋はさっさと俺の服を剥ぎ取り、濡れた手拭いで全身の土埃を落とし、(かまち)に着替えを置いて引き上げて行った。  水を飲んでから袖を通し、家族の眠る部屋に入る。  小さい妹ふたりは中央ですやすやと、岩山じみた骨格の親父は左の壁を向き無言で横たわっていた。全員いつでも逃げ出せる服装で、枕元には懐中電灯やラジオなど、その時持ち出す物を置いている。  ここには軍需工場が建ち並び、やや離れた隣町には陸軍の基地もある。敵の爆撃機はまだ来ていなかったが、大人達はみんな承知していたのだろう。二年前の東京や横須賀の空襲からして、ここも安全地帯ではないと。東京都深川区、城東区から強制疎開させられて来た連中を内心同情してもいた。  ふと見ると、お袋が右側の煎餅布団を叩いて手招きしていた。  そちらに向かい、受け取った肌掛けを折って腹にだけ乗せた。障子戸の方を向いて寝転ぶ。  いつもならお袋は妹達のそばで寝る。が、その日はなぜだか俺の布団に入り、背中に覆いかぶさるように寄り添ってきた。
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