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昭和一九年七月
一
餓鬼の頃は、しょっちゅうあの油臭い真っ黒な拳で殴られていた。
親父は軍需工場で戦闘機の部品を作っていたという。しかし今思い返してみても、果たしてそんな繊細な仕事ができたのかと疑わしくなるような大男だった。
体ごとすっ飛んで狭い庭を転がっていく俺に、親父は毎度こう言った。
――魁。なんでてめえはそんなに冷たい奴なんだ。
大抵の場合は怒鳴っていたが、時折涙声で言うこともあった。そしてどんな時も、親父の背後では妹ふたりがお袋の細腕に抱えられ、わんわんと泣き喚いているのだった。
その日、親父は少ししつこかった。妹達を指差して、見ろ、あんなに泣いてるぞ、なんでかわかるか、と言った。
「……律は、昼の弁当箱洗おうとしたら、中に金蛇が入ってたから。ふきは、さっき家の中走り回ってて転んだからだろ。てめえらでそう言ってたよ」
地面にこめかみをつけたまま答える。親父の声が上擦った。
わかってんなら、なんで泣き止ませてやらねぇ。かわいそうに、俺と母ちゃんが帰ってくるまで、律もふきもずっと泣き通しじゃねぇか。それを、てめえはなんにも思わねぇでただボンヤリ眺めてたのか。え、言ってみろ!
「なんにも思わねぇことはねぇよ。なんで金蛇くらいで泣くんだとか、なんで転んだくらいで泣くんだとか、不思議に思ってたよ」
律はまだ四つだ、ふきなんて三つだ、泣くに決まってんだろうが。
魁、なんのためにてめえがいるんだ。全国民が一致団結して敵にあたってるって時に、同じ血を分けた妹とすら合力できねぇってのはどういう了見なんだ。
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