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「あのね、私、話があって。」
そうだった。佐々木さんが待っててくれたんだ。
「ああ、うん。」
手に持っていたジャージを羽織った。三月とはいえ夕暮れ以降はやはり冷えてくる。AONANと白抜きの文字が大きく背中に入っている紺色のジャージ。もうだいぶ古びている。特に手首のところは緩んでいている、今日帰ったら母さんに出してみよう。そんなことを考えながら、佐々木さんの方へ歩いた。
「咲夜君、私のこと好き?」
いきなりの問いだった。薄かった闇が今はだいぶ濃くなっている。その中で、彼女の黒い大きな瞳が光っている。
「何、どうしたの、いきなり?」
期待外れ、というような空気が流れた。しまった、彼女が欲している答えじゃないことを言ってしまったな。慌てて言い直した。
「好きだから付き合ってるんでしょ。」
「でも、」
俯いた。
「何?」
「今日、咲夜君、プレゼントいっぱい貰ってたよね。本当に沢山。何、あのイケアのバッグ、パンパンにしちゃって。すっごいこれ見よがし。」
言いながらどんどん怒りが募っていくようだった。今まで、こんな佐々木さんを見たことも、聞いたこともなかった。
「いや、単にあれは便宜上っていうか。」
「咲夜君は、」
そこで大きく息を吸った。
「いっつもそう。断らない。彼女がいたら、普通プレゼントとか遠慮するよ。それが全部貰っちゃって。あたし、何かバカみたい。」
「いや、バカみたいじゃないけど、全然。」
「ずれてるんだよ、咲夜君はいつもちょっと。人の気持ち、ちゃんと考えたことある?」
人の気持ち?考えてるから、常に。そう言って欲しいであろうことを、いつも考え抜いて言葉にしている。なのにずれてる?
「ある、と思うけど。」
もうほとんど蒼い闇がグラウンドを覆っている。
「咲夜君は何であたしと付き合ってるの?」
その闇の中でも怒りで赤くなっている頬がうっすらと見える。
「さっき言ったと思うけど。」
「好きだから?違うね、あたしが告ったからだよ。じゃなきゃ、自分から咲夜君が言うとかありえない。」
「ありえない?」
「うん、そう。咲夜君はいつだって相手から言われて、それで付き合うって。それずっと聞いてて、でもあたしは自分から言ったけど、それでもいつか絶対好きになってもらえるって信じてた。」
「ああ、うん。」
「でも全然ダメだった。うっすらとは思ってたけど、今日プレゼントを全部受け取ってる咲夜君を見たら、ああ、これは望みないなってわかったんだよ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。プレゼント受け取るのと、君への気持ちってどう関係があるの?」
「だから、そういうところだよ。咲夜君は、本当に誰かを好きになることなんてある?あたしはもう疲れたよ、咲夜君がこっちを見てくれるのを待つの。だから彼女おりる。」
「え、は?いきなり。」
「あたしの中じゃ、全然いきなりじゃないし。」
佐々木さんがグラウンドを強く蹴った。ちょっとだけ土埃が上がって、でもすぐおさまった。ああ、俺、今フラれてんだな。苦笑いが浮かんだ。
「苦笑いなんてあたしがしたいよ。こんなんだったら、付き合わなきゃ良かった。ただ憧れてるだけだったら良かった。悔しいし腹立つし、悲しいし…じゃあね、さよなら。」
そう言うなり、佐々木さんは校舎の方へ駆けだして行った。あっという間の展開に呆然としながら、その小さな背中を見送った。頭のどこかで、追いかけろ、彼女は追いかけて欲しがってるぞ、と小さく聞こえてきたけど、そんな気にはならなかった。練習でひどく疲れていたし、それに、佐々木さんが言った言葉の幾つかが突き刺さったから。
―人の気持ち、ちゃんと考えたことある?ずれてるんだよ。本当に好きになることなんてあるの?―
人の気持ちか。いつだって考えてた気がするけど、もしかしたらずれてたのか?それで部活でも皆をまとめられないのか?夏の大会に向けて一丸とならなきゃいけないのに、皆の気持ちがこの時期にこんなにバラバラじゃマズい。俺がキャプテンをおりるか?いや、それじゃ単に逃げてるだけだ。先輩から与えられた伝統的なメニューをこなすだけじゃ、勝ち上がれないんだ。そのためには、+αの基礎トレと何よりバテない身体作りの走り込みが大切だ。俺が好きで、得意だからやってるんじゃない。そこをきちんともう一度説明しよう、納得が得られるまで。皆だって試合で勝ちたいはずだから。いつまでも金ちゃんに仲介されてるようじゃ、情けなさ過ぎるだろ。絶対に全員の気持ちを一つにして、高校最後の都大会で勝ち上がる。
それにしても、佐々木さんには気の毒なことをしたな。気の毒っていうのも、どうなんだろう。今フラれたっていうのに、俺の心の中は既に他のことが占めている。一瞬の心地よい風。佐々木さんはそんな感じだった。だから一緒にいれば楽しかったし、気持ち良かった。でも過ぎてしまえば、後には残らない。
いつだって、俺はフラれている。美しかったり可愛かったりする彼女達に。何なんだろうなあ。
空を見上げた。同じ紺色でもやっぱり冬と春とでは違うんだな。俺らのジャージーは深い紺色だから真冬か。真冬、大寒。今日確か、大寒って二度目じゃないか、思うの。何だったっけ?確か午前中にも思った気がする。でもそこで息を飲んだ。黄金色で大きな満月が上り始めていたから。前に不思議で調べた言葉、月暈が月の周りを取り巻くように明るく輝いている。満月が何倍にも膨らんでいるようだ。この美しさに決意する。絶対にチームをまとめてみせる。そして勝つ。
必ず勝ち続ける。
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