有鈴旅館へようこそ

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『いらっしゃいまし、佐々本様。有鈴旅館へようこそ。当旅館では全てのご案内をオンライン上で行っております。』 画面の向こうで女将が微笑む。僕は思わずへぇ、と呟いた。 「最近の旅館ってこうなんだな。」 僕を出迎えたのは一台のタブレット端末。古びた建物ではあったが、中身は意外と現代的だ。オンライン接客、なんて都会でもなかなか見ないサービスではないだろうか。 溜まった疲れを癒したくて温泉に行こうと思い立ったのはつい今朝のこと。しかしどこも予約で埋まっていて、ようやく見つけたのがこの旅館だった。 良く言えば山奥の秘湯、悪く言えば潰れかけの旅館。そう思っていたが、どうやら想像よりも技術は進んでいたらしい。 『お部屋にご案内します。佐々本様のお部屋は"柊の間"でございます。』 端末に表示された地図に従って廊下を進む。柊の間と書かれた扉の前で立ち止まると、また端末は喋り出す。 『こちらの端末がお部屋の鍵となりますので、カードリーダーに端末をかざしてください。』 ピピッと音がしてロックが解除されたようだ。扉を開けて中に入る。至って普通の、旅館らしい和室だった。 『大浴場のご利用時間は端末内のメニューよりご確認いただけます。お食事は注文メニューからご注文ください。従業員不在の時間帯は近隣店舗より宅配サービスでの提供となります。ご不明な点がありましたらヘルプを参照してください。ご用の際は呼び出しボタンをタップしてください。それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいませ。』 女将が淑やかにお辞儀をすると、画面がメニューページに切り替わる。風情があるんだかないんだか、ヒラヒラと桜の舞うエフェクトに苦笑した。 クチコミも見つからなかった旅館だが、ちらほらと客がいるのを見るに質は良いらしい。 客室の並ぶエリアには人の気配はないものの、温泉施設だけの利用者が多いのだろう。 脱衣所には並んだ木の棚の端に目新しいロッカーもあり、新品のようなマッサージ機もある。サービスが行き届いていると感心しながら、空いているロッカーに端末を仕舞った。 濁った湯に浸かって大きく伸びをする。疲れが流れていくようだ。 「よう、兄ちゃん。どうだ、ここの温泉は。」 心地よさにホッとため息をつくと、隣に座った中年の男性に声をかけられる。 「兄ちゃんは旅行か?ここは初めてだろう。」 「えぇ。気ままな一人旅です。残念ながら明日は仕事なので日帰りですがね。」 「そりゃあいい。この温泉は疲れた体に良く効くんだ。ゆっくり休みな。」 「ありがとうございます。おじさんはここの常連ですか?」 「そうさ。昔っからこの辺に住んでてね。今となっちゃ常連しか来ないような温泉だが、昔はもっと客も多かったもんだ。」 懐かしむように男性は目を細める。 「兄ちゃんさえよければ、また来てやってくれ。」
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