「遺書」谷崎トルク

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「遺書」谷崎トルク

 森崎佑都(もりさきゆうと)はその日、六月の鈍い雨が降るキャンパスを傘も差さずに歩いていた。  いつものように、蔦の絡まった古い礼拝堂の前を通り、キャンパスの中央にある芝生広場を抜けて、工学部の研究実験棟がある建物の中へ入ろうとした時、ポケットの中のスマホが震えた。朝から嫌な予感はしていた。  ――父親が亡くなった事を知らせる電話だった。  今年、五十五歳になる父親は二年前から肺癌を患い、化学療法のため都内にある大学病院に入院していた。数日前から容態が悪化し、覚悟はしていたが、ショックのあまり佑都はその場に崩れ落ちそうになった。 「どうした、大丈夫か?」  同じ学部の友人である英一(ひでかず)に後ろから声を掛けられる。背後から守るように体を支えられ、礼を言おうとしたが、口が乾いて上手く動かせなかった。スマホを握り締めた指先は冷たく、ほとんど感覚がなかった。 「顔色が悪いぞ。何かあったのか?」 「……ああ」  父親が亡くなった事を告げると、英一は慰めるように肩を抱いてくれた。背の高い英一の肩口に自分の鼻先が触れる。ふわりと男らしい匂いが薫った。  ――あ……。  微かなフェロモンと汗の香りに煽られて、佑都の体温は一気に上がった。  男の筋肉の硬さもその力強さも、自分の肌がはっきりと感じ取っている。こんな時でも友人に劣情を抱いてしまう己の性癖が情けなく、体のこわばりがさらに酷くなった。 「駅まで送っていこうか?」 「いや、いいんだ。本当にありがとう」 「これ、持ってけ」  英一が折り畳み傘を差し出してくれた。  佑都は少し迷ったが受け取って礼を言った。降りしきる雨に向かって傘を広げる。そのままゆっくりと来た道を戻り、キャンパスの坂を下った。
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