「遺書」谷崎トルク

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 病院に着くと、すでに父は息を引き取っていた。ベッドの傍で母親が静かに泣いていた。  ――親父、よく頑張ったな。  銀行員だった父は誰が見ても仕事一筋の人間だった。  入行してから三十年、病に倒れるまで一度も仕事を休んだ事はなかった。佑都が朝起きる頃にはすでに出勤し、家族が寝静まった深夜に帰宅するような毎日だった。数年にわたる単身赴任や海外赴任も経験し、上司や同僚はもちろん部下からの信頼も厚く、行内でそれなりの地位を築いていた。  一人っ子だった佑都はいつも家で母と二人きりだったが、弱音を吐かずに粛々と働いている父を心の底から尊敬していた。  父は亡くなっても銀行員だった。  生前、自分に何かあったらパソコンのフォルダを開けるようにと言われていたが、実際に病室に置かれたパソコンを起動させると、自分が亡くなった後、どうすればいいのか、何から手をつければいいのか、稟議書のようにやるべき事が全て記載されていた。  佑都は病院で必要な手続きを済ませて、そのまま自宅へ戻った。母親は、夫を亡くしたショックで酷く混乱していて、何かを任せられる状態ではなかった。二十歳といえども一人息子である自分がしっかりしなければならない。  父が残してくれたパソコンを頼りに、佑都はこれからしなければならない事をもう一度、頭の中で整理し始めた。  ――あれ?  自室で父のパソコンを弄っていると気になるフォルダが一つ見つかった。そこには「Z」と小さくタイトルが付けられていた。  Z――ゼット。  なんだろう。  一文字のみのフォルダ名。  気になってファイルを開けてみると長々と書かれた文章が目に飛び込んできた。それはエッセイのようでもあり、小説のようでもあった。  ――手紙、かな……。  これを自分が読んでいいのか判断がつかない。けれど、わずかに生まれた後ろめたさ以上に、読まなければいけないという妙な使命感が佑都の心に芽生えていた。  ――変だな……。  どうしてそう思うのだろう。  不思議に思いつつ、佑都はコーヒーを淹れるためダイニングへ向かった。静まり返った部屋の片隅で、インスタントコーヒーに温めた牛乳を注ぎ、砂糖をひと匙だけ入れる。ふと見えたカフェテーブルに父の背中を思い浮かべていた。  ――コーヒー、好きだったもんな。  アルコールに弱かった父はコーヒーを淹れるのが唯一の趣味だった。佑都には名前も使い方も分からない道具を一から揃え、休日になると買った生豆を煎るところから楽しんでいた。家に買い置きしてあるコーヒーがインスタントになったのは、父が入院するようになってからだ。  ――道具の使い方くらい訊いておけばよかったな……。  ふと寂しい気持ちになる。  失くしてから気づく事がたくさんあると知り、今さらながら心が痛んだ。  静寂が喪失感を伴って佑都の心に潜んでくる。  そのまま、マグカップを持ってゆっくりとパソコンの前へ戻った。  ――よし、読んでみるか。  佑都はひと息つくと、「Zへ」と書かれている最初のページをスクロールした。そして、一行目から目を通した。
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