麗人の小説家

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「巴(ともえ)さん。先生がいらっしゃいましたよ」  口ひげをたくわえた、寺子屋の校長が金香の上の名前を呼びながら、引き戸を開けて顔を見せた。  さすがに校長が顔を見せれば、子供たちはおとなしくなる。口ひげを生やして優し気な笑みを浮かべていることの多い、初老の校長。名は小佐田(おさだ)という。見た目は優し気なのだが……いったん子供を叱責するとなれば、容赦ない。  校長室に呼ばれ、正座をさせられ、眉を吊り上げた鬼の形相で雷を落とされる……だけではない。  ときには罰も与えられる。校内の掃除だの、校長や教師役の手伝いなど。  それも簡単なものではない。夜まで及ぶこともあったし、数週間言い渡されることもある。ただ、罰則を与えることはあったが、お尻を叩く以上の体罰を加えることはないひとだ。そこは大変紳士的であるといえた。  子供たちにとっては脅威であることに違いはないのだけど。 「はい! こちらは大丈夫です」 「よし。……お待たせしました。先生、こちらです」  金香の返事に校長が答え、するりとなにか良い香りが入ってきた。  これは香?  そのひとの姿を見る前に金香が感じたのは、それ。  鼻腔に心地よい香りの次に感じたのはやわらかな空気と落ち着いた声。 「お邪魔します」  たったひとことだったのに子供たちはぴんと背筋を伸ばして彼に見入ってしまう。  それほど『彼』の威厳は強いものだった。  威厳なんてどこからきているのかわからない。だって彼はとてもうつくしい姿をしていたのだから。  深い茶色をした髪は長く、髪紐でくくられている。  顔立ちも整っていた。たれ気味の優しそうな目元の真ん中にあるのは焦げ茶の瞳。とてもあたたかい印象をまとっていた。  ひとこと言われたその低めの声と高い身長が無ければ女性と言っても通ってしまうかもしれないほどうつくしいひとだった。
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