麗人の小説家

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 そのあと少し子供たちとやりとりし、そして講義へと入った。  今日の講義は、小説家の先生を招いたのだから勿論作文だ。源清先生の出した題で、三十分程度の短い作文を書くことになった。  金香はあらかじめ用意していた半紙を子供たちの机に配る。子供たちは持参している鉛筆をそれぞれ出し、課題へと取り組んだ。  題は『大切な人』だった。  文机の並ぶ間をゆっくり見て回っていた源清先生が、ふと足を止めた。  なにか、と金香が思ったときに、その机の前に座っていた男児の前に先生が膝をついた。 「少し持ち方が歪んでいるね」  それはまだ寺子屋に入って一年と少しの男の子だった。十にも満たない。  先生は手を伸ばしてその子の小さな手に触れて包み込んだ。 「こう持ってご覧。はじめは書きにくいかもしれないが、慣れれば書き良いよ」  実際に鉛筆を動かしてみて、鉛筆の持ち方を直してやる。男児は素直に「はい」と返事をして、先生の手が離れてからも、正しい持ち方で鉛筆を持つように頑張っているのだろう、拙くも手を動かしはじめた。  あの持ち方の歪みに、ちらっと見ただけで気が付くとは。  金香は驚いた。  あの子はもともと書くことにあまり慣れていないようで、持ち方にクセがついてしまっていたのだ。  しかし金香やここに勤める大人たちが気付いたのは、つい最近のことだったのである。  ここで開かれるのは、文字を書く講義だけではない。そして子供は少なくないのだ、全員をしっかり見ることはやはり無理がある。  寺子屋では何ヵ月もかかったことを、一瞬で。  けれどすぐに思った。  小説家の先生だ。こんなこと当たり前なのかもしれない。  小説家というのはなにも頭の中のことを文字にするのだけが仕事ではないのだ、と金香は感心した。鉛筆を、ペンを、筆を持ち、それを紙に滑らせること。  それも大切なプロセスなのだろう。  なにを書くかずっと悩んでいる子。  夢中で紙の上に覆い被さるように一気に書く子。  考え考え書くのか少し書いては空を見て眉根を寄せる子。  作文の様子は十人十色だった。  源清先生はゆっくりと文机の間を一周し、教壇前に戻ってきた。  子供たちに課した三十分はまだ半分も終わっていない。  校長は引き戸の前まで引いて教室の様子を見守っていた。  そして金香はこのあと完成するであろう子供たちの作文の発表と添削の準備をしていた。赤い鉛筆、漢字を教える辞書や教科書。使うであろうページを開いて付箋を付ける。  声がかけられたのは、教科書のあるページに金香がしおりを挟み込んだときだった。 「きみもなにか書いてみるかい」
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