麗人の小説家

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 一瞬、それがなんだったのかわからなかった。話しかけられたのだとは思わなかったので。  座っていた文机から顔をあげると、源清先生が腰をかがめてくださるところだった。 「え、わ、私は」  その仕草が威圧的にならぬように視線をなるべく近づけようとしてくれたのだ、ということを知ってどくりと心臓が高鳴った。  それだけ言うのが精一杯。  そもそも男の人とこれほど近くで会話をすることがあまりない。  寺子屋の教師でも男性はいるが皆、歳を重ねていたうえに妻子持ちであった。なので金香にとっては『近しい親戚など』のような感覚であったのだ。  しかしこのひとは違う。外の人だ。町中ですれ違う、若い男性と同じ。  源清先生の年齢をこのときの金香は知らなかった。  しかし外見だけでも、三十にもまだ届かぬ若い部類であることはわかる。結縁しているかはわからないが。  おまけに彼はとても美しいときている。そのような人に声をかけられれば、落ち着けというほうが無理であった。 「添削の準備もそうかからないだろう。ひとつ、試してみておくれ」  源清先生がわざわざそんなことを言った理由がそのときの金香にはやはりわからなかった。  ただ、まっすぐに見てそのように要求されたことにどぎまぎとしてしまう。 「巴さん。やってみてはいかがかな」  少し離れたところから校長の優しい声が届いた。先生の言葉を後押しするようなもの。 「子供たちを見るのは先生と私がしよう。せっかくだから試してみては?」  そこまで言われてはむしろやらないわけにはいかないではないか。 「はい、では、お言葉に甘えまして」 「有難う」  金香の返事は先生のお気に召したらしい。平易な声ではあったが確かに嬉しそうに言われた。  腰をかがめてくれていた先生が離れるとき。  また、ふわっと香りがした。  今度ははっきりとわかった。  白檀の香りだ。  近付いていた距離にまた金香の心臓が高鳴った。
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