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「戻ったぞ」
それから十五分後くらいに、店にやってきたのは、私服に着替えた土方だった。
「……ども」
俺の顔を見て、少しだけ目を見開いて、
「……私服で来るんやな……」
制服で無い土方の姿に俺がぽつりとつぶやくと、何が気にくわないのか、一瞬苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「なんか用事か? ちょっと待っとけ。今、着替えてくる……」
そう言うと、土方はバックヤードに消えた。
ふと時計を見ると、そろそろ寮の夕食が始まる時間だ。外はすっかり日が暮れている。
俺はまず寮に電話して、帰りが少し遅くなるけど、食事を取っておいてもらえるように頼んだ。
そして少しだけ悩んでから慶に『帰る時間が、少し遅くなる』とだけメールを打った。
「で? なんだよ……」
土方のお兄さんは土方が来たのを見て、軽く手を上げてバックヤードに戻っていく。それを目先で見送りながら、土方は俺にそう尋ねた。
「いや……」
「そういや、この間、なんか話があるって言ってたな」
土方はそう言うと、カウンターにもたれかかるようにして、肘をテーブルに乗せて、俺の方に顔を寄せる。
「なんか、慶の前では言いにくい話か?」
ほんの僅か、その目が面白そうに輝く。意外と好奇心旺盛なところもあるらしい。
「……」
「そういや、慶がまさか、進学クラスに入るとは思ってなかったよな」
なんて言っていいのか迷っているのに気づいたのか、そう俺に声を掛けた。
「お前が教えてやったんだろ、まあ、アイツももともとバカってわけでもないからな。真面目にやりゃできるんだろうけどさ」
そう言って土方はにやにやと笑う。
「……で、何の話だ?」
再び尋ねてくるから、俺はオルゴールマシンの奥に貼り付けられている紙を指さした。
「あれってさ、今も有効なん?」
俺の言葉にひょいっと顔をのぞかせるようにして、土方はその壁に描かれていた紙を見つめる。
そこには、『アルバイト募集! 休日、夜にシフトに入れる人は特に歓迎』
と書かれていて、ここら辺では少し高めの時給が設定されている。
「ああ、それか。お前、バイト探してんのか?」
一瞬訝し気な顔をする土方に、俺は口では何も答えずに、そのまま小さく頷く。けどそのまま俺の言葉を待つように、土方が黙っているから、仕方なく口を開いた。
「今ちょっと京都にいる父親が体調を崩してて、出来たら自分の小遣いぐらいは、稼いでおきたいなってそないに思って……」
土方は、はっと小さなため息をついて、眉根を寄せて心配そうに尋ねた。
「オヤジさん、大丈夫なのか?」
「……ちょっとね、精神も病んでるっぽいから、完全復活はいつになるかわからへんわ……」
「……そうか。わかった、ちょっと兄貴に聞いてみる」
そう言うと、土方は俺の顔をじっと確認するように見た。
「その件、慶には相談したのか?」
そう尋ねてくるから、とっさに顔を左右に振る。
だって、あの人が精神的におかしいのは昔からだけど、実際怪我をさせたのは、あの時俺を救ってくれた慶で……。
きっと慶にこんな話をしたら、絶対心配かけてしまう。
前期の学費は、もともと俺の口座に入れられていた貯金で対応できたし、多分今年の学費だけなら、なんとかなりそうな金額がまだ口座の中に入っている。
けど、それ以外の諸経費や、寮のお金まで考えると、俺の口座の貯金だけでは多分1年は持たない。
いや、どうしようもなくなれば、お金は多分、大阪で画商をしているあの人の親友の、カズヤさんに聞いたら立て替えてくれそうな気はするんだけど……。
他人を頼るのは出来るだけ後にしたい。
家に貯金がないわけじゃないから、父親の意識さえ通常に戻ればお金の心配はなくなるはずだし。
そんなわけで、まずは当座のお金を稼ぐために、アルバイトができたら、って思っていたのだ。
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