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「じゃあさ、ちょっと寄ってみる?」
俺が声を掛けると、アキが小さく頷く。
四月に入り新学期に備えて、一応、学用品とかを買い出しに行くかと、駅そばの文房具屋に行って、本屋に寄って。
ついでにどこかでお茶でも飲んで帰るか、となった。その時、ちょうど土方の兄貴の店がそばにあるのを思い出した。
めずらしく俺の話を聞いて、アキが少し興味を持ったのだ。だから行ってみようかと、うろ覚えだったけれど、表通り沿いにあるその店を見つけると、俺達はシックな大きな扉を押す。
カランと、ドアベルの音がして、扉を開けるとそこは今までいた外の喧騒とは隔絶されたような、大人っぽい雰囲気の空間が広がっている。
入り口には大きなアンティークオルゴールがある。昼間はカウンターでコーヒーや紅茶を淹れているけれど、夜はバーカウンターになるらしく、背中には隠し扉にさり気なく大量のボトルが並んでいるらしい。夜来たことがないから、良くは知らないけれど。
「おう、慶来たのか」
その重厚なカウンターに立っているのは、黒のスラックスに白シャツ、ベストを着た土方の奴だ。どうやら今日はバイトのシフトに入っているらしい。
「うん、買い物の帰りがけにね」
そう言って、カウンターに座ると、土方は慣れた手つきで俺たちにメニューを渡す。
「腹減ったな。何が美味い?」
「お前らが食いそうなもんは、サンドイッチぐらいしかねぇよ。あ、ローストビーフのサンドイッチは美味いぞ?」
「じゃあ、それと。紅茶? コーヒー? 紅茶がメインなの、ここ?」
「昼間はな……」
その言葉にアキと二人で、適当におすすめの紅茶を頼む。
土方が意外に丁寧なしぐさでティーポットに紅茶を淹れて、こちらに出してくれるのを見ている間に、奥のキッチンからサンドイッチが届く。
「高校生じゃ量が足りないだろうから、おまけしておいたよ」
そう声をかけてくれるのは、土方によく似た20代半ばぐらいの男性だ。以前兄と紹介された人だと思う。
お茶の時間を過ぎて、おなかのすいていた俺たちは、さっそくきれいに盛り付けられたサンドイッチに手を伸ばした。
「……うまっ」
思わず声を上げると、土方兄はニヤリと親指を立てて、笑顔を浮かべる。それを見て土方は軽く肩を竦めた。
「そういや、新学期のクラスはどうなるんだろうな」
肘をついて、こちらをのぞき込んで、土方が言う。
「あれやな、成績によってクラス分けするんやろ?」
そう言ってチラリと二人が俺のことを見る。
「……まあ、慶とはクラスは別になるな」
土方の言葉にコクリとアキがうなづく。
「ええ、俺もアキのおかげで結構成績上がってきたよ?」
慌てて俺がそういい返すと、慰めるように二人がうんうんと頷く。
「……二人とも、ちょっと勉強ができるからって、感じワルっ」
ぶーぶーと文句を言いつつ、俺は紅茶を一口すする。
……学年主席のアキは言うまでもなく、中学からの入学組の土方も上位三十番から落ちたことはない。ちなみに実兄がオーナーと言っても、土方のこの店でのアルバイトが認められているのは、この成績があってのことだ。
そして五教科の総合成績トップのアキから順番に、上位四十人程度で、今年度の二年生の選抜クラスが成立する予定だ。
この選抜クラスは、国公立大学を目指すクラスってことで、東大に行くって言っているアキとか、国公立大学に進みたい土方みたいなやつが入ることが多い。
うちは私立大学の付属高校だし、大学もまあまあ世間ではそこそこ評価されている大学だから、ほとんどのやつはそのまま上の大学に推薦で進学するやつも多いんだけどね。
まあ、俺みたいな小学校から入ってきているような奴は、大概はそのまま上に行けたらいいって思っている奴が多い。俺もそう思っていたんだけど……。
少しだけ苦い気持ちでサンドイッチを食べきると、もう一度紅茶に手を付ける。まあ俺だってできたら、アキと同じクラスに進みたいけどね。
そう気づいて三学期は勉強もだいぶやるようになったし、アキにも教えてもらって、成績はだいぶ上がったと思うんだけど間に合ったんだろうか?
俺が土方と話すアキの顔を見ながらそう思っていると、
「それでもって、蘆谷、お前東大志望だって聞いたんだけど本当か?」
土方がそうアキに声をかけた瞬間、カタンと奥の方でコーヒーを飲んでた奴が立ち上がった。
俺たちがそれを振り返ると、次の瞬間、席を立った男が俺たちに近寄ってくる。
「……高校の二年生か?」
俺らの高校の名前を言って、尋ねてきたのは、俺と同世代っぽい高校生の男だ。
「……ああ、それがどうした」
土方が眉をしかめて、短髪の目つきのきつい男を見返してそう言い返す。
「……蘆谷……ってお前か?」
その土方の視線を無視して、その男はアキのことをじろりと睨みつけた。
「……そうやけど?」
アキはその視線を受けたせいか、すぅっと温度を低めた瞳で目の前の男を睨み返す。相変わらずひそかに気の強い奴だよな、とか思いながら、ついつい見惚れてしまうのは、今はだれにも秘密だけど。
「高校時代ガリ勉して、必死こいて東大目指すのか?」
男は顔を一瞬ゆがませて、俺たちの会話を聞きかじったようなことを尋ねてくる。
「……だったらどうなんだよ?」
俺が思わずアキの代わりにそう答えると、男はふんと鼻先で笑った。
「まあ、せいぜい頑張るといい。編入生に主席を奪われないようにな」
喧嘩口調でそんなことを言ってくる男の意味が全然分からなくて、思わず首を傾げていると、土方は冷静に尋ね返す。
「……お前、ウチの編入生か?」
土方の言葉に男は肩を竦めた。
「さあな、新学期が始まればわかるだろ?」
一瞬剣呑な雰囲気で、土方と目の前の男がにらみ合った瞬間、カランとドアベルの音がなった。
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