第一章

19/22
前へ
/44ページ
次へ
なんとか悪夢のような半日を終えて、俺はいつも通りバイト先のカフェに向かう。 今日、土方は部活で、山崎さんがシフトに入っているはずだ。 通い慣れた道を歩いて店に入ると、いつも通り服を着替えて店に入る。 学校から離れて少し気持ちが楽になる。 どうやら、一日鷹塔の背中を見続けた一日は、相当俺の気持ちを削ってたみたいで、慣れたバイト先に入った瞬間、最初の頃は緊張の連続だったバイト先も 今日は俺の気持ちの緊迫を解いてくれる場所になっていた。 「いらっしゃいませ……」 ドアベルの音がして、顔を上げる。 その瞬間までは、だったけど。 「…………」 「…………」 「あれ、藍谷、ここでバイトしてたんだ」 黙りこくった俺に何故だかリラックスした顔で、不思議そうに話しかけてきたのは、今日俺から主席を奪った鷹塔で。 その鷹塔の傍にいたのは……。 「……アキ、何してんだよ……」 一瞬で状況を理解したのだろう、慶が何とも表現しがたい表情で、俺の方をじっと見つめている。 「何って……アルバイトやんか……」 「今日、弓道部、部活だろ?」 視線をそらして答える俺に対して、慶は珍しく詰め寄るように俺に尋ね返す。 「……部活、今休部してるんや……」 ぽつりと漏れた言葉に慶が、激しく眉をしかめた。 「……なんで部活休部してまで、アルバイトしてるんだよっ。ってか、いつからバイトなんて始めたんだよ!」 かっとなったのか、ワントーン声が上がる。 咄嗟に店内を見渡すけれど、さっき、ちょうど帰った客のせいで、店内は俺達バイトと、慶と、鷹塔だけだ。 山崎さんが、気遣うように俺を見つめている。 慶の声に反応したのだろう、ひょいっと顔を出したのは、ヨシユキさんだ。 それに、なんで鷹塔と一緒なんだよっ! 瞬間に、酷く自分がみっともないことをしている気分になった。 「……慶には関係あらへんやろ。人には色々事情があるんや。それに、慶みたいな極楽トンボには俺の事はわからへんっ」 感情にまかせて叫ぶと、大きく息を吐き出す。 「……ほんま、偉そうにあれこれ言わんといて欲しいわ!」 咄嗟に語気強く慶に言い返してしまったのは、慶がよりによって、俺を一番嫌な気分にさせている奴を伴って、このタイミングで店に来たことへの八つ当たりだ。 はっと逆恨みに近いような言葉を口にしてから、そのことに気づいて慌てて口を閉じる。 けれど……。 「…………」 一瞬慶がひどく悲しそうな傷ついた顔をして、俺の顔をチラリと見つめる。b0cdc4ae-e4d9-4ede-8016-f487ec2b90fe それから慶にしては本当に静かに、踵を返して、ゆっくりと入り口に向かって歩き始めて……。 次の瞬間、徐々に足取りを速めて、一刻も早くここから立ち去りたい、という様子で、あっという間にカフェの外に出ていく。 「け……」 呼びかけようと思った言葉は、次の瞬間に慶に呼びかけた鷹塔の言葉でかき消されてしまう。 「慶、どうしたんだよ?」 そう言いながら鷹塔は慶の後を追う。 思わず俺は慶の後を追いそうになるけれど、カウンターが俺の足をとどめた。 「……藍谷くん、喧嘩したんだったら追いかけた方が……」 焦ったような声でヨシユキさんが俺に声を掛ける。 けれど、それに対して、俺は力なく首を横に振った。 「いえ、大丈夫です。慶とは同室やから、後でちゃんと謝っておきます」 そう答えると、ヨシユキさんが小さくため息をつく。 「そうか。じゃあ今日は、キッチンで下ごしらえの準備、手伝ってほしいんだよね。ちょっとこっちに来てくれる?」 そう言ってくれるのは、ヨシユキさんの優しさだ。 俺は一瞬、カウンターから明るい外を見つめる。 もう当然のことながら、そこには慶の姿は見えなくて。 俺は立ち去るときの慶の顔を思い浮かべて、乱れそうになる呼吸を慌てて浅い呼吸で誤魔化す。 ぎゅっと心臓が爪を立てられたような痛みを覚えながら、それでもその時はまだ慶の事だから、ちゃんと帰って謝ったら大丈夫って。 そう自分に言い聞かせながら、ヨシユキさんの後を追って、キッチンへ向かって行ったのだった。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

62人が本棚に入れています
本棚に追加