一回

3/5
前へ
/76ページ
次へ
 悪夢のような現実を、みせつけられた翌日。今日はたっちゃんと、アフタヌーンティーを楽しむ予定になっていた。アフタヌーンティーなんて、そんな優雅な気分ではない。昨晩、こっそりと美女を堪能しておいて、凡人とデートするたっちゃんの、気がしれない。どうして私なんかと、付き合っているのか。しかも、数ヶ月や一年ではない。もう何年も経っている。学生時代から、男女問わず人気があった、たっちゃん。そんなたっちゃんと付き合えただけでラッキーだと思って、多少の浮気は大目に見ていたけれど。今回のように、生々しい現場を目撃したのは初めてで、やっぱりショックは大きい。でも、それを問い詰めることはできない。問い詰めた時点で別れを切り出されそうだから。 「ルイ!」  だから今日も、知らない顔をして待ち合わせをする。笑顔で手を振るたっちゃんに、小さく手を振り、微笑みを返した。いつもと変わらない、笑顔のたっちゃんの首筋に、まさかのキスマーク。さすがの私も顔がひきつった。 「どないしたん?」  微笑みが凍りついた私に、たっちゃんが気づいて真顔になった。 「首筋、どうしたん?」  キスマークと気づいていながら、涼しい顔をして問いただす。浮気のことは問い詰められなくても、これくらいなら聞ける。 「あー、コレ? 虫刺されやわ。昨日、蚊がブンブン言うてたから」  たっちゃんは、顔色ひとつ変えずに切り返してきた。私からの質問も、想定内ってことなのかもしれない。 「そんなことよりルイ、最近、疲れてるやろ? 甘いもん食べて疲れとりや?」  そう言って、そっと手を握るたっちゃんを、冷たく引き離すこともできない。いまさら、ひとりにはなりたくはないから。  街が見渡せる、眺めのいいホテルのラウンジ。三段のティースタンドには、プチケーキやサンドイッチ、スコーンにパフェなどが並んでいて、味だけではなく、見た目のかわいらしさでもテンションをあげてくれる。ライブミュージックの生演奏を聴きながら、素敵な午後のひとときを過ごす。幸せなはずなのに、首筋のキスマークがそれをじゃました。気にしないでいよう。そう思いながらも、やっぱり気になる。たっちゃんが言うように、虫刺されだと信じたいけれど。 「コレ、キスマークやと思ってる?」  そんな私の心を見透かすかのように、たっちゃんが笑いながら言った。 「なんで、そんなこと……」 『昨日、受付嬢とホテルに入っていくところ、見たで!』  そう言いたいのを飲み込んで、ブツブツとつぶやいた。 「さっきから、ルイの視線が痛いもん」  無意識にキスマークばかり見ていたのか。そう気付かされて、キスマークのように熱くなる頬を押さえた。 「ホンマに虫刺されやで? 文句があるなら、虫に言ってや」  スコーンを頬張りながら、冗談を言ったたっちゃんを、黙ってみつめた。 「もしかして、ルイ。これと同じようなのを、つけてほしいんか?」 「な! 何を言ってんの!」  今度は私がスコーンを頬張った。口の中でぱさついて、喉に詰まりそうだ。 「お楽しみは、もう少しアフタヌーンティーを楽しんでから。ね?」  何も言えず、頬がますます熱くなった。これじゃあ、浮気を問い詰めるどころか、たっちゃんの手のひらでいいように転がされているだけ。わかってはいるけれど、このぬるま湯が心地よかったりする。
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加