二回

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二回

 覚えることが山盛りで、毎日が矢のように過ぎていった。今までは、七緒さんから親切丁寧に指導してもらっていたけれど、ゴールデンウイークが終わると、ひとりで仕事をしなければならない。勤まるのか、不安。そう考えると、ゴールデンウイークも楽しめない。今夜は、七緒さんの送別会。まぁ、また戻ってくるから送別会ではない気もするけれど。とりあえず飲まないとやっていられない。この先の不安はビールの泡で流して、焼酎の水割りでグルグルかき回して、ワインを煽ってちゃんぽんしてしまえばいい。なるようにしかならないのだから。  日向社長を挟むように私と七緒さんが座ると、まだ誰か来るようで、私たちの前に空席が三つあった。 「あの。今日、他にもどなたかいらっしゃるんですか?」 「うん。今、伸び盛りの三人」  日向社長の言葉の意味がわからず、首をかしげる私を見て、七緒さんが笑った。 「おっ! 噂をすれば影。おーい! こっち、こっち!」  おしゃれな創作料理店は、少々薄暗い。伸び盛りの三人の姿をみつけると、日向社長が手を振った。 「日向社長、お疲れ様です」  三人の中でいちばん身体の大きな男性が挨拶をすると、七緒さんの前に座った。続いてイケメンが日向社長の前に座った。私の前に座った男性を見て、思わず声をあげてしまった。青春焼けの男性、佐土原さんが私の目の前に現れたからだ。 「あれ? 国富さん、佐土原くんと面識あるの?」  慌てて口を塞ぐも、日向社長に気づかれてしまった。佐土原さんにチラリと視線を送るも、不思議顔。佐土原さんは、傘を貸した相手が私だということに、気付いていない。傘を貸したことすら、忘れているのかもしれない。そもそも、地味な私の顔なんて、覚えているわけがない。恥ずかしさが込み上げてきて、頰がカァッと熱くなった。 「あっ、もしかして。雨の日にお会いした、あの方ですか?」  佐土原さんが思い出してくれて、言葉より先にウンウンとうなずいていた。 「なんや? 雨の日に会ったって」  日向社長がニヤリと笑う。やましいことは何もない。 「傘をお借りしたんです。すみません。どこのどなたかわからなかったので、お借りしたままで。今度、お返しします」  日向社長に簡単に説明をすると、今度は佐土原さんに言葉をかけた。 「あの傘、ボロボロやったでしょう? 処分してもらっていいですから」  佐土原さんは真っ直ぐな視線を私に向けると、白い歯を見せて笑った。 「あ、ありがとうございます」  そんな笑顔を見せられたら、お礼を言うのが精いっぱいになってしまった。 「さぁ、みんな揃ったところで。乾杯しよか」  テーブルにはいつの間にかビールとウーロン茶が並び、乾杯の準備が整っていた。妊婦の七緒さんと、野球部の三人は、ノンアルコールだ。七緒さんは当然のことだけれど、野球部の三人は、翌日の練習に響かないようにするためなのかもしれない。みんなとグラスを合わせると、最後に佐土原さんと視線が合った。青春焼けの顔に、満面の笑み。決してイケメンではないのに、その笑顔には妙に心惹かれるものがあった。
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