三回

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 会議に備えて会議室の準備と、資料の最終確認。十時から会議が始まり、息つく間もなく、次々にかかってくる電話やメール対応。郵便物の処理、関係各所への連絡事項の伝達。忙しい。けれど、仕事をしないお局様を目の前にして、うんざりしながら仕事をこなしていたあの頃より、ずいぶんとマシだ。いや。やりがいがあって、楽しいくらいだ。  会議の後は、来客があり、お客様の案内、お茶出し、帰られた後には応接室の片づけ。忙しい中でも、常に自分の身なりを確認し、笑顔は忘れない。七緒さんからのアドバイスだ。何もしなくても綺麗な七緒さんとは違い、私は気を抜くと疲れたおばちゃんになってしまう。たっちゃんに捨てられたら私、一生独身なのかな。ふと、そんなことを考えてしまい、応接室のテーブルを拭く手が、ピタリと止まった。佐土原さんは私を、おばちゃんだと思っているのかな。 「そんなことより、仕事! 仕事!」  自分に言い聞かせるようにして、小さくつぶやくと、応接室の片付けを急いだ。  秘書デビュー当日は、あたふたしながらもなんとかひとりで仕事をこなせた。日向社長が厳しい人なら、やれたかどうかは自信がないけれど。もっとしっかりしなければ。七緒さんみたいに動じることなく、落ち着きはらって仕事をこなせるのは、いつになることやら。  本社から外に出ると、春の暖かい風に包まれた。ふと、工場の隣にあるグラウンドに目をやると、あかりがついているのに気がついた。七緒さんがいるときは、本社を出るとそのまま一緒に駅まで歩いて帰っていたから、気にも止めなかった。足は、思うよりも先にグラウンドに向かっていた。近くまで来てみると、もう練習時間が終わりなのか、部員たちが談笑しながら、引き上げてくるのが見えた。グラウンドの近く、ネットが張ってある外側に、いくつかのベンチがあった。一般客がベンチに座って、練習を見学できるようにしてあるのかもしれない。そのベンチに、ゆっくりと座った。五月の風が暖かく、なんだかくすぐったいくらいだ。  部員たちは、ベンチに座っている私には目もくれず、引き上げていく。グラウンドからはベンチが暗くて、人が座っていることに、気がつかないのかもしれない。
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