三回

3/6
前へ
/76ページ
次へ
 部員たちが帰っていく背中を、ひとり見送る男性がいた。佐土原さんだ。部員たちがいなくなり、ひとりになったグラウンドで、黙々と素振りを始めた。 『レギュラーに入ったとしても、レギュラーに入って終わりとちゃうから。油断したらすぐに降ろされる』  練習が終わってからも、ひとり、バットを振り続ける佐土原さんを見て、バッティングセンターでたっちゃんが話していたことを、思い出した。佐土原さんは、人より何倍も努力をして、レギュラー入りを果たしたのだ。でも、こうやってがんばっていても、結果が出なければ、すぐにレギュラーから外される。勝負の世界に生きるのは、厳しいこと。それに比べて私なんて、甘いものだ。人生でいちばんがんばったのは、大学受験で。その後は、なんやかんやとうまくいっていた。運よく、たっちゃんみたいなイケメンの彼氏ができたり、横綱食品に就職できたり。  それなのに、私。大した努力もせずに、お局様にうんざりして転職した。転職も、たっちゃんのコネ。あわよくばたっちゃんと結婚して、しばらくはのんびり専業主婦でもしようかとか、頭の片隅でうっすらと考えている。  五月の風に吹かれながら、懸命にバットを振る佐土原さんを見ていると、なんだか自分が恥ずかしい人間のように思えてきた。とりあえず、先のことは未定だけれど、今、自分のできることを精いっぱいやろう。日向社長に気分よく仕事をしてもらえるように。  佐土原さんが陰で努力をしている姿を目の当たりにして、元気と勇気をもらえた気がした。  それからというもの、秘書として、日向社長に気分よく仕事をしてもらうにはどうしたらいいかと、自分なりに考えて仕事をするように心がけた。わからないことがあれば、七緒さんにメールをして、アドバイスをもらった。  それでも、自分の中で納得のいかなかった日には、こっそりと、春日園野球部の練習を見学するようになった。野球部の部員は午前中、工場で仕事をし、午後からは練習をしていた。練習試合で遠征をすることもあった。グラウンドでの練習が終わると、佐土原さんは欠かさずに自主練習をしていた。バッティングだけではなく、ランニングやトレーニングをしていることもあった。  五月十九日から、都市対抗野球大会の近畿地区第二次予選が行われる予定だ。佐土原さんがスタメンに入れますように、と願いながら、黙々と自主練習をする姿をみつめていた。今日の失敗も、明日への糧になるからがんばろう。佐土原さんの努力する姿を見ると、私かってがんばればできる、きっとうまくいくと、前向きになることができるから、不思議だ。
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加