三回

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 六月五日、日曜日。都市対抗野球大会、近畿地区第二次予選、準決勝。対戦相手は、大手鉄鋼メーカー、大日本製鉄(だいにっぽんせいてつ)。電車とバスを乗り継いで、たどり着いたは、舞島(まいじま)ベースボールスタジアム。ひとりで初めての野球観戦は、なんだか緊張する。だいたいのルールはわかるものの、野球を知っている人と、来るべきだったのかもしれない。そんな、期待と不安が入り混じった私の背中を、誰かがポンと叩いた。 「日向社長!」  顔を見た瞬間、驚きのあまり声をあげたけれど、春日園野球部の熱狂的なファンである日向社長が観戦に来ることは、驚くべきことではない。 「野球に興味がない国富さんが観に来てくれるやなんて」  そう。むしろ、野球に興味がない私が、この場にいることのほうが驚きである。 「たまたま、何の予定もない日曜日だったので」 「ひとりで来たんや。てっきり、延岡くんと一緒に来たんかと思った」  日向社長からしてみれば、野球好きなたっちゃんと来るのが自然に思うであろう。 「今日は、予定があるみたいで」 「あ、そう」  私のひと言に、日向社長が一瞬、目を丸くした。野球好きなたっちゃんは予定があって観に来られなくて、野球に興味がない私が観に来たことは、そんなにおかしなことなのだろうか。そう思いながら、日向社長の後ろについてスタジアム内に足を踏み入れた。 「グラウンドの近くで観るのもええけれど、オレが前の方に座ってたら、みんな気を遣うやろ?」  日向社長は、応援に来ている春日園の社員たちに気を遣い、グラウンドに近い席ではなく、少し離れた上の方の席に座った。 「上の方から観た方が、ダイヤモンドがよく見える」 「ダイヤモンドですか?」 「四つのベースを結ぶ正方形を言うんや」  ああ。なるほど。日向社長と一緒だと、野球観戦も楽しくなりそうだ。高い位置からダイヤモンドに目をやると、グラウンドに近い前方の席に、見覚えのある後ろ姿をみつけた。みつけてしまった。自分の自慢のひとつ、視力が良いことを、この日ほど悔やんだことはない。見えなくていいものまで、バッチリと視界に入ってしまっている。艶やかな黒髪の女性の隣で、笑顔を見せるたっちゃん。隣の女性は、東通商店街で目撃した、受付嬢。ふたりはやっぱり、こういう仲なのか。試合は間もなくプレイボールを迎える。泣きそうな私を、置き去りにして。
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