一回

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 青い折りたたみ傘を開いて、ぐるりと見回してみた。ずいぶんと年期が入った傘で、骨がところどころさびついていたり、縫い目がほどけたりしていた。この傘をそのまま返すより、新しい傘を返してあげたほうがいい気がした。どこの誰だかわからないけれど、私に傘を貸したせいで、この雨の中を濡れながら帰ったのだから。ふと、青春焼けと対照的な白い歯を見せながら笑った顔が、頭に浮かんだ。いくつくらいの人、なのだろうか。たっちゃんみたいに色白で、大人びた微笑みは似合わない、若く見える男性だった。  駅にたどり着いた頃には、雨足がさらに強まっていた。北大阪急行から御堂筋線へと直通している電車に乗り込んだ。梅田に着く頃には、雨は上がっているだろうか。男性が、最寄り駅から自宅まで濡れていないといいなと思いながら、電車に揺られた。二十分弱で梅田に着くと、金曜日の賑やかな街へと繰り出した。ひとりぼっちで歩く街では、カップルばかりが目についた。新しい折りたたみ傘を買おう。青春焼けの男性に似合いそうな傘を。今度、いつ会えるかわからない人のために折りたたみ傘を買うだなんて。自分でもおかしいなと思いながら、買わずにはいられなかった。結局、悩みに悩んで青地に白の水玉模様の折りたたみ傘を買った。青は、空の青。水玉模様は、真っ白い雲。青春焼けの男性に似合いそうなのは、真夏の空だと思ったから。  なんだかウキウキしながら、ひとり、雨あがりの街を歩いた。手頃なイタリアンレストランでボロネーゼ、それにワインを一杯だけ注文して、おひとり様ディナーを楽しんだ。いい気分になったところで、家路を急ごう。ゆっくりお風呂に入ってから寝よう。明日は、たっちゃんと午後から会う約束をしているし。  そんなことを思っていた、人混みの中。ふと見ると、たっちゃんによく似た雰囲気の男性をみつけた。よく似た雰囲気ではなく、間違いなくたっちゃんだ。出会った頃ならきっと見過ごしていた。声をかけようと足早に近づいたが、ハッとして、足を止めた。隣には、私とは正反対の、綺麗な女性がいたからだ。隣にいる女性に見覚えがあった。春日園の本社の受付嬢だ。毎日顔を見ているから、間違いない。再び歩き出すと、小走りでふたりの後を追った。急に鼓動が早くなって、どうにかなりそうなくらいの中、願った。おかしな場所にはいかないでと、願った。
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