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3 秘密
――始まりは、全身をベールで包んだような倦怠感だった。
次に小刻みに震える手足。異物が喉元までせり上がってくるような不快な悪心。そして“体の内側に溜めていた水が流れ出るような”不思議な感覚。
それはまだ青年が、魔国の長として君臨していた頃の事だった。原因不明の病が、突然青年に襲いかかった。
青年はそれに覚えがあった。
何故なら過去に青年と同じ症状を持つ魔族が数多にいたからだ。
今からおよそ二千年前。
原因不明の伝染病が国中に流行した。
伝染病と言っても、命を脅かすようなものではない。
“ただ体中の魔力が枯渇する”のだ。
始まりは国境沿い近くの小さな町で起こった。一人、また一人と感染し、それは見る見る内に国中を蝕んだ。
猛威を振るう原因不明の病に、誰もなす術もなかった。
――しかしそんな状況を救った人物がいた。
その人物とは、人間と魔族の夫婦の間に生まれた、金糸の髪をした少年だった。
少年には不思議な異能あった。その手に触れる者に魔力を授ける。いや、正確には流れ出る魔力を止める能力があった。
一人、また一人と枯渇した魔力が回復して行き、やがて魔国全土にそれは広がった。
少年の不思議な異能は、見る見る内に魔国に魔力を取り戻させたのだ。
あれから二千年。原因不明の病は、少年の手によって終息を迎えたはずだった。
なのに、何故今になって。
青年はもうずっと長い間、悪夢を見続けている。
おそらくこの命の灯が消える時まで、悪夢から覚める事はないだろう。
少年の死後、金糸の髪をした者は生まれていない。
でももしもう一度、金糸の髪をした者が生まれたら。そして巡り合う事が出来たら。
――俺を助けてくれるだろうか。
***
馬車ががたがたと音を立てて、平坦な地面を走る。
小さく上下左右と揺れる車内。
窓の外を、月明りに照らされた風景が雑然と流れてゆく。
カルミアは頬杖をつきながらその光景を眺めていた。
「カルミア、寝てていいんですよ。昨日からほとんど寝れていないとターニャに聞きました。あの広大な敷地を走った事も相まって疲れたでしょう」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。それよりヨハンに聞きたい事があるんだ」
ヨハンに聞きたい事は山ほどある。
魔笛の存在。ジキルの事。ヨハンの秘密。
そしてあの手紙の内容。特にギルバートが前国王に毒を盛ったという事が、カルミアはにわかに信じられなかった。
「ギルバートが前国王に毒を盛ったって本当?」
カルミアが尋ねると、斜め向かいに座っているヨハンの表情が陰った。
「…ええ。本当です。前国王の体内からカーレアの粉が検出されたとの報告がありました」
「・・・カーレアの粉?」
「カーレアは、アーダルベルト西部アミリア地方に咲く貴重な花で、毒性と裏腹に大変美しい姿をしているのが特徴です。しかしその毒性は凄まじく、わずかな量を口にしただけで、発熱、麻痺、痙攣、意識混濁の症状が出ます。そしてこの花の非常にやっかいところが、遅発性であるというところです。即効性と違い、徐々に徐々に毒が体を蝕んでいきます・・・つまり、病気に見せかけられる事が可能ということです。前国王も死去するまで長い時間がかかりましたから、解剖が行われる前は、ただの病気だと思われていました」
「・・・その間に証拠隠滅も出来るってわけか」
真向かいに座っているジキルが窓の外を眺めながら、ポツリと呟いた。
「・・・はい。だからこんなに捜査が難航しているんです」
「でもギルバートが毒を盛った証拠はあるの?王妃や側室、頻りに行動を共にしている宰相だって十分に怪しいと思うけど」
「実際に目撃したわけではないので、断定はできません。しかし前国王は用心深い人でした。食事の際は必ず毒味役を通してでないと召し上がりませんでしたし、絶大な信頼を寄せているギルバートとしか食事を共にしなかった程です。なによりカーリアから抽出した粉は、とても苦いと有名です。食事にでも混ぜない限り、口にする事は到底難しい」
「・・・それはつまり食事に毒を混ぜる事が出来るのは毒味役かギルバートしかあり得ないということ?」
「そうです。しかし毒味役には国王に毒を盛るメリットはありません。けれどギルバートは違う。デメリット以上に得られるメリットが沢山あります。ギルバート以外あり得ないんです」
疑念が、確信に変わる。
「毒を盛った理由が、僕を独占するためって手紙には書いてあったけど・・・」
「ええ。前国王は、貴方を側室に向かえる事に反対でしたから。おそらく邪魔になったのでしょう」
「邪魔って、実の父親なのに」
「ギルバートはそういう男ですからね。あとは国王の権限が欲しかったというのも理由ではないでしょうか。カルミアの支配をさらに強固なものにするためには、王太子という立場では弱いと思ったのでしょうね」
「あの状態でも十分支配を受けていた状態だったのに、ギルはこれ以上僕をどうしたかったんだろう」
「・・・憶測ですが、壊れた人形のようにしたかったんだと思います。一生ギルバートから離れられないように。ギルバートなしでは生きられないように」
「…狂ってますわね」
横に座っているターニャが眉間に皺を寄せ、聞いたこともないような冷たい声で吐き捨てた。
――壊れた、意思のない人形。
何も喋らず、何も感じず。何も一人では出来ず。
そんな状態に、僕をギルバートはさせたかったのだろうか。
クローディアのお腹の中に子供がいると分かった時、途方もなく厚くて重たい壁が前に立ち憚り、未来が見えないような、そんな感情に支配されていた。
おそらく、カルミアに前世という存在がなかったら、壊れた人形のようになっていたかもしれない。いや、なっていただろう。
(僕に前世の存在があって、本当に良かった)
カルミアは長谷川樹の存在に、心の底から感謝した。
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