1126人が本棚に入れています
本棚に追加
「次は何が食べたい?」
「…オムレツ」
ギルバートはオムレツをナイフで小さく切り、カルミアの口に運んだ。その姿はさながら親鳥のようだ。次々と運ばれるオムレツに、カルミアは一生懸命口を動かして、嚥下する。悠長に味を堪能している暇なんてない。オムレツの最後の一欠けらまで飲み下すと、カルミアはテーブルの上の折り畳まれたナプキンを手にとって口を拭いた。
「ギルさぁ。こんな鳥のような真似をして楽しい?」
「楽しいよ。俺がいないと何も出来ないくらい、カルミアが俺に依存すればいいなってずっと前から思っていたんだ。...そうだ。今度から着替えも、食事も、風呂も、全部俺が手を貸すよ。」
「…いい加減にしろよ。ギルは、僕をペットか何かだと思っているだろ。僕を縛り上げて、自由を奪って。その上、人間の尊厳まで奪おうとするなんて冗談じゃない!!」
カルミアは憤慨した。手にしていたナプキンをぐしゃりと握り潰す。
唇を噛みしめながら睨みつけると、ギルバートは大きく目を見開いた。温厚な子猫が飼い主に爪をを立てたことに驚いたのだろう。
「...ペットじゃない」
ギルバートは手にしていた銀のフォークをテーブルの上に置いた。そして悲しそうに赤栗色の睫を伏せ、カルミアから視線を逸らした。
「ペットなんて思ったこともない」
「じゃあ、僕はギルにとって何なの?…分からないだよ。僕とギルはどういう関係なのか。――ギルが本当は僕をどう思っているのか」
相手の呼吸が筒抜けになる程の静寂が包む。時計の秒針の音だけがやけに耳につく。
カルミアは、自分の心の中を渦巻くこの感情が何なのか分からず、困惑していた。
(最近の僕は変だ。ギルバートとの関係に変に名前をつけたがる。ギルバートが僕をどう思ってるかやけに気になる。僕は一体どうしたのだろう…。これじゃあまるで…)
ーーギルバートに恋をしてるみたいじゃないか。
『俺の名前はギルバート。何処にも行く宛がないのなら、俺の元においでよ』
過去の記憶が走馬灯のように甦る。
ギルバートに拾われたあの日。
命を救われたカルミアは、ギルバートによって王城に連れ込まれた。当時のカルミアは見るにも絶えない状況だった。手足に広がる火傷の痕。枝のように細い体。意識も朦朧としていて、一人で歩く事すらままならない。誰もが死を彷彿とさせる程、弱りきっていた。
ギルバートはそんなカルミアを、王宮の客間に置いた。食事を与え、火傷の治療を施し、 懸命に世話をした。半月が経った頃、カルミアはすっかり元通りになっていた。火傷の痕も、見る影もないくらいに薄れた。骨も浮き出なくなった。
あの頃のカルミアは、心底からギルバートに尊敬と信頼を寄せていた。ギルバートは一国の王太子。どこぞの馬の骨とも知らない子供を匿うのは、さぞ大変だっただろう。周囲に強く反対されたはずだ。
見返りも求めず、無償の愛を注いでくれるギルバート。ギルバートの目は何時だって優しい。娼館で見てきたような、欲情に塗れた男達の目とは全然違う。過去の境遇から人間不信に陥っていたカルミアにとって、ギルバートは暗闇に射す一筋の光のようだった。
ーーそんなカルミアの想いを裏切ったのは、ギルバートだった。
きっかけは腹違いの兄であり、王位継承権第二位のヨハン・コロンビーナが、カルミアの元に訪れた事だった。当時の王宮では、カルミアの噂が蔓延していた。
”次期国王のギルバートが、絶世の美貌を持つ少女を妃にしようとしている”と。当時のカルミアは胸下まで髪が伸びていて、一見少女のようにも見えた。おそらく王宮に連れられた際に、カルミアを遠目で見た者がそのような噂を流したのだろう。
王城は、様々な思惑と欲望が渦巻く場所だ。己こそが妃になろうと目論む者、次期国王のギルバートを取り入れたい者、ギルバートの即位を阻止したい者 。そんな奴らにとって、カルミアは恰好の的だった。ギルバートはカルミアを匿い、強欲な人間達から遠ざけるようにして守っていた。
しかしギルバートが一番危惧している人物が、ヨハンだった。
本来、王位継承権は第一子であるヨハンが継承するはずだった。
けれど”あんな事”があってせいで、ヨハンは継承権を手放ざる負えなかった。ヨハンは国王の座に執着している。
ヨハンは間違いなくカルミアに接触するだろう。ギルバートから寵愛を受けたカルミアを人質に取り、王位を譲れと揺さぶりをかけるはずだ。愛は時に足枷となる事を、ヨハンは知っていた。思惑通り、ヨハンはカルミアに接触した。
最初のコメントを投稿しよう!