嵐になりたかったワタシ

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国民的アイドルグループ嵐が、2020年をもって活動を休止した。 ファンであるワタクシはご多分に漏れず、いまだ嵐ロスを味わい尽くしている所だ。 ライターであり、表現者なのでその想いの限りを言葉にしたり、イラストやコラージュにしているが、嵐ライティングは12.000文字を超えた。(原稿用紙30枚分!) このアート業はセラピーになる。 淋しかった心が愛のエネルギーに向けられてゲンキが出たり癒されたり、 アタマや心が整理されたりする。 ・・と思っていた。 ワタシは3週間ほど寝ても覚めても頭の中にアタマの曲が鳴り続けるという、ちょっと異常な状態が続き、 (しかも毎回違う曲で、その順番もアルバムの順でもなかったりする) まるで何処かの次元にある嵐専用の有線放送局と繋がりっぱなしになっているかのようだった。 Netflixの嵐ドキュメントを追い、コンサートのDVDを観ながら、アタマの中で嵐の曲を鳴らし続け、ひたすらライティングしているうち、しみじみ分かったことがある。 仙人は霞を食って生きるというが、ワタシは嵐のオーラを食って生きていた。 こちらが意識せずともTVからタダ同然に流れてくる彼等の、夢や希望、とびきりのJOYのエネルギーを取り込み、命の糧にしていたのだ。 嵐が居なくなってから、まるで母船を失くしエネルギー供給できず、 宇宙空間に放り出された小舟のような、ココロモチ。 そんな毎日。 嵐はワタシにとって日本人の米と一緒、ソウルフード、ソウルエナジーだったのだ。 そして歌い踊り、バラエティでゲームの中でも、 どんな時も楽しむ姿、ちゃんと幸せを選ぶ姿、支え合い、人を思いやり感謝している姿を見せ続けてくれた彼等は、 ワタシにとって、アイドルや推しというよりは、 天使や神の存在に近い“JOYのマスター”の領域に居た。 そんなコトに改めて気づきながら日々嵐セラピーを続けていたのだが、 これがまあ~~色んな感情が出てくる。 嵐にのっけてた自分の夢とか希望とか望みとか。 そうなれなかった悔しさとか痛みとか。 ワタシは元ミュージカル畑の役者でダンサーだったのだが、 「やっぱりステージに立つからには、あんな風に夢や希望やJOYを振り撒いて 松潤みたいに全身全霊を舞台に捧げて生きたかったよなーーっ」て 羨ましくて悔しくて、心の底から泣けた。 驚いた。 まだこんなピュアで真っ赤な炎があったなんて。 現役の頃でさえ、よりいいものを目指そうとはしていたが、 「絶対トップ取ってやるぜ」みたいなギラギラのハングリー精神なんて無くて ビッグスターになるのは一部の雲の上の人たちだと、ぼんやり認識してたのだ。 つまり自分とは別物だったのだ。 ところが、彼らの居なくなった寂しさ虚しさの奥にあった 「ワタシは嵐になりたかったんだーーー!!! あんな風に愛を生き、JOYを振りまき、 表現者として全身全霊で尽くしたかったんだよーー!!」って思いは ものすごく純度の高いクリアなルビーのように、 夕日を浴びたキャンディのように、きらめいていた。 ああこれこそが、ワタシと嵐をこんなに強く結びつけていたエネルギーだったんだ。 彼等そのもののその炎は、ワタシの望み、希望・理想の姿、 そしてそれはワタシそのものだったのだ。 何てこと、ワタシは嵐と同じモノでできていた!!! ワタシはそのキャンディのような真っ赤なルビーの熱量と壮大さに愕然とした。 ワタシにおいて嵐は、“神”と同義語なのだから。 (ある日突然、自分が大天使なんちゃらとか、 13次元のなんとかマスターと同じエネルギーだと知った事を想像してほしい。パニクるべ!!) 知らなかった。 というか、思っちゃいけないと思ってたんだ。 スターになるにはアレが必要で、コレもなくちゃいけなくて。 条件は山ほどあると。 でも嵐(のような存在)に成れようが成れなかろうが、 なりたいという望みくらい自分で許したってよかったのだ。 美少年じゃないとか、腰が弱くて踊れないとか体力ないとか、 そもそも57歳のオバサンだとかツッコミどころ満載なのは置いといて、 自分の真っ赤なキャンディルビーにまで水かけて消化する必要ない。 ただその想いがあるという事を知ってあげるだけでもいい。 そうまさに嵐がデビュー曲で歌ってた、 「夢だけ持ったっていいじゃない♪」だ! 愕然としつつ、宝物を掘り当てた気分ではあった。 が、光があればこれまた大きな闇もあるモノ。 次にやって来たのは、舞台人としてステージに立っていた頃に成しえなかったモノたちだった。 リノリウムの床の冷たさ、なめらかなターンを邪魔する摩擦。  リハ室の冷たい空気。 オーディションに落ちたショック、後輩に抜いて行かれる悔しさ、故障で思う様に動けない、 当時仕事を貰っていたダンスの先生から使い捨ての歯ブラシのように捨てられた思いとか。 どうにもできずもがいていた頃、無責任な仕事をしていた、いい加減で情けない自分の姿などが 嵐の映像に重なって、嵐の歌に乗って、夜見る夢の中で、あらゆる手段で目の前に現れた。 まるでパンドラの箱を開けてしまったかのように。 まだこんなに鮮明に残っていたのか・・。 もう何十年と表現活動を続け、あれやこれやのセラピーやヒーリングを続けてきたというのに、これはなんだろう、過去の想いの残像か? 燃えカスか? 癒えてない傷を書き換えたつもりになって、のほほんとハッピーに暮らしてた。 こんなにまだじくじくと血が滲んでいたのに。こんなに痛かったのに。 ワタシは自分をごまかし続けてきたのかな? 見えたものは落ちると言うけど、いつまで出てくるんだろう? そうか、こんな怒りや悲しみや寂しさ、ネガティブなものが混じって、 クリアな赤いルビー色の炎は、どんどんどす黒く濁ってしまうのか。 自分が真っ赤なルビーであったことを忘れてしまうくらいに。 相葉ちゃんや翔ちゃんの新番組や、ニノさんを観ては嵐のカケラを拾い集め 浮き沈みを繰り返す。 自分の創作活動は嵐関連のみに留まり、もはや嵐依存症てヤツかもしれん。 これでもヨーギーなので、日常生活を送れる程度には心も体も整えていたつもりだったが・・。 嵐ロス27日目、胃が急激に焼け付くように痛みうずくまった。ヤバイ。 さすがに焦って医者に行くと、逆流性食道炎らしい。 人はしょげていると病気になる。病は自分で作り出す。んなことは百も承知だ。 でも今回は、ちゃんと悲しみたかった。寂しがりたかった。 逃げたくは無かったんだ。 健康面ではコントロールできてるつもりだったけど、甘かった。 そうワタシはいつも心が体を置いてけぼりにする。 そろそろヤバイ。決着をつけないと。 いやたぶんそんなものはつかんのだ。 無理やり着地して決着をつけたかに見えても、 それは充分に安定した地面ではナイことは経験から知っている。 決着なんぞつけなくていい。 過去の痛みやら傷やらが癒えないままにくっついているのがワタシなんじゃないか。 これをこのまま受け入れる事しか、生きる道はないじゃないか。 自己セラピーなんつうものをしてるつもりで、自分を追い詰めただけだったかな。 でもイイよね。 いいと言ってあげるんだ。 だって傷もあるけど、相変わらず輝いているモノもある。お相子だ。 真っ赤なキャンディルビーがある。無くなることも変質することもあり得ない。 体や心にどれだけ、傷を負おうと、この輝きだけは無くならない。 だってソレが私の本質、ワタシの魂だということを ワタシはハッキリ見たのだから。 そもそもそれがワタシなのだと、知ったのだから。 ワタシは嵐になろう。  ワタシという表現者に、ワタシという創造神に、神になろう。 この情けなくも愛おしい古傷たちと共に居るよ。 ああそうだった。  そもそも嵐は完ペキな人達のグループなんじゃなかったじゃん。 助け合って補い合って、人の力も借りて、ダメダメな時でさえなんだか楽しそうにやっていて。 そして本物のスターに成っていく姿を21年見せ続けてくれたんだ。 そんな嵐だからこそとっても魅力的で、大大大好きだったんだもんね。 スーパーアイドルグループ嵐に、 感謝カンゲキ愛嵐。
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