復讐するは我にあり

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復讐するは我にあり

 ──人差し指が一本多い。   彼等の手を確りと見せてもらった。まったくの好奇心だったが、彼等は少し目を瞠り、そして鷹揚に許してくれた。  女の柔らかさはないが、男にしてはしなやかな手。不思議と均整がとれているように思えた。指先は冷えている。まだまだ寒い季節だ。  首堂羽々斬は笑い、  首堂布都は倦んだ。 「子どもの頃は、先生が困っていたね」 「先生が?何故」 「人差し指、中指、薬指だのと教えるだろう。俺達という例外がいるものだから」 「他の口さがない子どもが、『首堂の指は何とするのか』などと囃したててね」 「首堂は別、と宣っていたが」  彼等は、限りなく少数派に属する。   真っ直ぐな黒髪と癖のある白髪がまだらに伸びる頭。  白鼠と黒紅の瞳。  そして六本指。  顔立ちはぞっとする程整っている。男色の気がある学生達から良からぬ視線を注がれているのだが、彼等は自覚しているのかいないのか。  「──青江君は、好奇を隠さないから、良いね」  羽々斬は機嫌の良い猫のように、喉を鳴らして笑い、布都は兄の関心を買う者が気に入らないのか不機嫌だ。 「知っているかい、青江君。僕達に手を見せてくれと頼んだのは君が初めてだよ」 「他の奴等はこそこそと鬱陶しい。可哀相なものを見る目で侮辱する」  だから、と彼等は続けた。  シンメトリィに彼等は互いに片手を絡ませて握る。黶の位置まで同じ。鏡写し。 「君に教えてあげようと思うのだけれど」 「知りたいか?」 「「君の弟御を殺した下手人を」」  ───そうして僕、青江笑多の苦悩が始まった。 『復讐するは我にあり』    放課後で良かった、と場違いに頭の片隅で安堵した。教室に残っている者は居らず、けたたましく椅子を倒して立ち上がる僕を見咎められない。  当然に、彼等に食ってかかった。羽々斬の胸倉を掴み上げ、何故知っている、警察には話したのか──そう問い詰める。  笑多の剣幕に、羽々斬は華のように心無く笑んだ。布都は兄を締め上げる手を掴み、折らんばかりに捻り、引き剥がす。存外に力が強い。僕は痛みに呻き、しかし胸の裡は荒れ狂ったまま、彼等を睨んだ。  ──颯汰。僕の弟。  尋常小学校から帰る最中に、拐かされたらしい。七日目にして家に帰ってきたのは魂の抜けた、冷たい骸。  ──見ない方が良い、という官憲の言葉を聞かなかった母は、心を病んだ。父は何かを振り払うように、逃げるように仕事に没頭した。僕はといえば、悪夢に飛び起きる日々を送っている。  骸は惨いものだった。稚い顔が、見る影もなかった。生前は喧しく、煩く思うこともあった。それでも、これはないと、この死に様はないと、神仏を呪った。 「……何故、下手人を知っているんだ?」 「ご遺族の前で白状すると憎まれるだろうけれど、僕達は奇怪で悲惨な事件を探偵するのが好きなんだ」 「趣味だ。存分に恨むと良い。批難するが良い。  ──帝都ではそうした…羽々斬を愉しませる奇禍が多くて良い」  最早呆れて言葉も出ない。  人の不幸を弄んで悦んでいるのだ、この双子は。 「僕達は愉しい事件が起きれば、夜歩きをする。遺体や凶器が見つかったところを彷徨いて、思いを馳せる」 「被害者の痛苦を、恐怖を」 「加害者の愉悦を、狂気を」 「なんと怖ろしかったことだろう。苦しかったことだろう」 「なんと愉しかったことだろう。昂ぶったことだろう」 「そんなことを繰り返していると、何となく、分かってくるものだよ」 「骸を捨てた場所、凶器を捨てた場所から骸の辱め方から。下手人の癖──のようなものが」 「そうして辿り着く」 「凶人に」  羽々斬と布都の絡んだ指が妖しく蠢く。   僕は──酷い眩暈に襲われていた。  颯汰を殺した下手人が──分かるとして。どうする?警察に通報してそれで?それが、順当だ。分かっている。普通のことだ。そうして司直の手に委ね、極刑を──。  颯汰の、顔が。あの惨たらしい姿が、瞼の裏にちらついて、離れない。 「この国の極刑は──死刑は、縛り首。  君の弟御を殺した者は、当然、そうなるだろうね。しかし、それで良いのかい?」 「それで済ませて良いのか?」  シンメトリィの悪魔が囁く。 「ねぇ、君──君は、もし、君が絶対に裁かれない業があるとして、仇をどうしたい?」「弟御と同じ目に、それ以上の残酷を味合わせてやりたいと、そう思わないか?」  僕は──考えて、考えて──そうして気を失った。剰りのことに動転し過ぎた結果だ。保健医によれば、双子に引き摺られて連れてこられたのだという。 「死体かと思ったよ。彼等はどうにも不気味で不可解だからね。何をしでかすのか見当も付かない」  僕は頷いた。そう、何を言い出すのか分かったものではない。  …下手人を、本当に知っているのだろうか。  彼等の特異な頭脳は先日の香冴逮捕によって皆に知られている。連続殺人鬼の行動を理解して、逮捕に一役買ったのだ、と。ならば同様に…颯汰を殺した仇も、知っていてもおかしくはない。  兎に角、と僕は保健室を辞し、寮へと向かった。校庭を抜けた先、校門前。夕闇に立つのは、あの双子。 「さぁ、青江君」 「少しばかり、仇の人となりを見に行こうじゃあないか」  双子のインバネスが翻る。  ──目が眩む。  ──頭が痛む。  ──己を失う。  僕は夢遊病者の足取りで彼等に追随した。 「右へ」 「左だ」  謳うように彼等は道を示す。  夜歩きに慣れた双子は警邏をやり過ごし、下駄を鳴らし、行く。  僕はといえば、頭に霞みがかかったかのようだった。弟を殺された激憤も、双子への不審も、何もかもが遙か遠い。  凪いでいた。  絡繰り仕掛けの木偶の坊のように。否──双子の繰る糸に踊らされる道化人形だ。    瓦斯灯が鈍く照らす夜道を行き、そして着いたのは、一軒のビルヂング。  様々な事務所が入っているらしい。ビルヂングの玄関口に掲げられた表札の一つを、双子はこつこつと叩いてみせた。 『伊佐建築設計事務所』 「此処の、主が下手人だよ」 「もう少し待てば帰路につく。待とう」  路地裏で時間を潰す。とはいえ、双子は何やら愉しそうに小声で話しているが、内容はよく分からない。僕は呆けたままだった。寮の制約も破り、夜歩きなどをしている──異形の双子に連れられて、仇をしかと目にする為に。  ──何もかもが、夢うつつのようだった。  ──泥沼に沈む、夢だ。  ──悪夢だ。 「さぁ、青江君」 「仇が出て来たぞ」  僕は──奴を見た。  頰の痩けた、痩せた男だった。  神経質そうに撫でつけられた髪と、きっちりと着込まれた背広。眼鏡を掛けた立ち姿は教職か何かかと思わせた。 「建築の仕事をしているとか」 「図面を引く、緻密で孤独な作業だ」 「幾つも土地を持っていてね、お楽しみに色々と使っているようだよ」  お楽しみ。  それは、颯汰を、  ──頭の霧が漸く晴れた。  あいつが、あの男が、颯汰を、  しかし、何の、証立てもない。双子がそうだと言っているだけだ。  双子を顧みれば、羽々斬は愉しそうに微笑み、布都は嘲笑っている。瓜二つの貌に笑みを佩いているというのに、違うと分かる。 「まぁ、後を付けようじゃないか」 「彼の家族を見れば良い」  そうして再び双子の背後に従う。何をどうやっているのか知らないが、彼等が履く下駄はからりとも鳴らなかった。器用なものだ、と場違いに思う。件の男は三人の男子高校生に付けられているなど思いもしないのだろう。背後を窺う素振りも見せない。革靴は几帳面に単調に音を刻む。  そして暫く。  男はある家に辿り付き── 「おとうさん、おかえりー!」  戸を開けた瞬間に息子と思しき男児に飛びつかれ、 「お勤めご苦労さまです」  細君と思しき女性が微笑んでいた。  男は男児を抱き抱え、女性に鞄を渡し、家の中へと消えた。  ──理想の家族像が、そこにあった。  同時に、双子への疑念が鎌首を擡げる。 「…本当に、彼が弟を殺したのか?」 「うん、信じてくれないだろうけど、そうだよ」 「あぁした連中は化けの皮を被るのが巧いものだ」  化けの皮、というならば、今の僕は狐に抓まれたような心持ちだ。狐は双子。騙された、からかわれた。怒りは沸いて来ない。復讐はこうした馬鹿げたものだと、思い知らされた。 すっかり自分を取り戻した僕は、双子とあれこれ話をしながら帰路についた。彼等の故郷のこと、兄のこと、親のこと。存外すんなりと話してくれた。双子だけの世界のようなものが創り出されている、と思い込んでいたが、秘密主義ではないらしい。  反対に、僕は母について訊かれた。早くに母を亡くした彼等は、母親というものがどういうものか、話で聞くしかないのだという。それは寂しいだろうと同情を拭えないが、改まって家族について語ろうとすると上手くいかない。弟の、ことも。母は口煩くて、父は仕事一筋で、弟は偶に煩わしい。──でも、大事な家族だ。 「もし、僕が、布都を喪ったら、どうしようかなぁ…」 「早めに冥府に来てくださりませ、羽々斬。閻魔めの舌を引き抜いて御覧にいれます」 「おぉ、それは愉しそうだねぇ。うん、そうしよう。布都が死んだら、僕もそちらに行こう」 「あにさまが、羽々斬が先に逝ったのなら、直ぐさま後を追いますので、さっさと行ってしまわず、少し待っていてください。長くは待たせませぬ」 「うんうん、ちゃあんと待っているよ」  双子は緩く、死を受け入れる心算でいるらしい。互いに死ねば、終わるように。 「でも一番良いのは、あにさまに切り捨てられる死に様だねぇ」 「十束のあにさまの腕なれば、痛みも何もかもを断ち殺してくださるでしょう」  僕は──歪みきった趣向に慣れつつあった。 彼等は頭の中こそが、最も異形なのだ。  寮に着いた僕は、酷く叱られるだろうと覚悟していた。しかし寮監は示し合わせたかのように不在にしており、僕と双子の夜歩きを知る者はいなかった。 「覚悟が決まって、夜を行くなら呼んでおくれ」 「…覚悟?」 「復讐の覚悟」 「まだ言ってるのか…」 「あの伊佐という男、真に君の仇だよ」  双子はシンメトリィに振り返る。 「考えてごらん」 「悩むと良い」 「あの男の生殺与奪は君にかかっているよ」  それじゃあおやすみ、と双子は去って行った。  僕は酷い悪夢を見ながら、次の朝を迎えた。  そしてまたしても放課後。  双子は帰り支度を始める僕の前に立った。 「決めたかい?」 「考えたか?」 「君達の戯れに付き合う気はもう無いさ」  溜め息混じりに答えると、羽々斬はきょとりと目を丸くし、布都はあからさまに眉間に皺を寄せた。 「なんだい、信じてくれないのか」 「あにさま、羽々斬。此奴、お人好しが過ぎるのでは?」 「あぁもう、あの伊佐某が真に仇だというのなら、分かり易い証を見せて欲しいものだね」  ここまで言えば引くだろうと、そう思った。  ──浅はかだった。 「ふぅん…それなら見せよう」 「そら──これに見覚えは?」  彼等が布袋から取り出したのは、小さな靴の片方だった。その靴は赤茶に染まり、そして靴底には見覚えのある字で、    ──あおえ そうた  そう記されていた。  母の字だった。見間違えようがない。尋常小学校に入る祝いにと、父が与えた物で──弟は、颯汰は酷く喜んで、布団に入るまで履いていて叱られたのだった。 「どこ、で、こ、これを?」 「伊佐某の持つ不動産の一つ…貧民窟の外れの汚いところだよ。恐らく颯汰君を殺した惨劇の場、だろうね」 「血と脂の、嫌な匂いが染み着いていた。周囲に住んでいる奴等は悲鳴を聞いて、サテ何事だと駆けつけるような質ではない。誰にも邪魔されなかっただろうな」 「泣いても」 「叫んでも」 「誰にも助けてもらえないままに、君の弟御は亡くなった」 「殺された」  ──颯汰。そうた、僕の弟。  少し元気が良過ぎて遊ぼう遊ぼうと五月蠅くてだから煩わしくてでも生まれた頃は小さくて可愛くて守ってやらないと駄目だ僕はお兄ちゃんなのだからお兄ちゃんになったのだからお兄ちゃんお勉強してるのなら僕もする僕の横で筆を握ってでも直ぐに飽きて遊びたがってお兄ちゃん遊ぼう遊ぼう──  僕は、 「ねぇ、僕達は良い死体の隠し方を知っているよ」 「お前が奴を殺そうとも誰も気付かない」 「君は心の赴くままに」 「さぁ」  ■■■  男は貧民窟と呼ばれる、帝都の暗部へと足を運んでいく。据えた匂い。客を手招きする垢じみた腕。男女の嬌声。悲鳴。子どもの歓声。此処では全ての悪徳に日が差すことはない。  男は粗末な掘っ建て小屋に潜り込んでいった。  貧民窟は何者も気にしない。生死を気にしない。道端で男と女が、男と男が、女と女がまぐわっていても囃し立てるだけだ。全てが見世物。全てが舞台の上の滑稽な役者達。そうして演じられる今夜の演目は、男の悲鳴と共に始まる。  ■■■  双子の手腕は見事だった。  伊佐が小屋に入り込んできた瞬間に、奴の顎に掌底をかち上げ、仰向けに倒れたところを、素早く固める。  身動きが取れなくなった男の顎を無理矢理掴みそして、ばしゃりと何かの液体を掛けた。  刺激臭。  男の悲鳴が只の水ではないことを物語っている。   僕はといえば、何でも構わなかった。  「──さぁ、露払いは済ませたよ」 「──さぁ、思いのままに」  殴った。  痛い。指が痛い。だから蹴りつけて踏みつけて、蹴り上げて。  僕は人に手を上げたことがない。なかった。どうすれば分からせてやれる?颯汰が感じたような痛みを、苦しみを。颯汰はもっと痛かったはずだ。苦しかったはずだ。怖かったはずだ。此奴にはこうされる理由がある。颯汰を殺した。人を殺した。子どもを殺した。だけど──颯汰は?何の罪科もないというのに、苦しんで、誰にも助けられずに、殺されて。  僕は無我夢中だった。  それは癇癪に近かった。  どのぐらいの間、そうしていたのか。男は息も絶え絶えで、顔面は人相が分からない程に腫れ上がり、血塗れだった。  これが、僕の成果。  僕は肩で息をしていた。手も足も、もう動かない。疲弊したわけではない。復讐に奔るための動力が、空転している。憎い、恨めしい。憎悪はある。尽きない。しかし── 「──どうしたんだい、青江君」 「まだ、奴は生きている」 「真逆、これで終わりと?」 「俺達はもう少し、君の我欲を期待していた。残念だ」 「君は正常で健全な精神を内包しているのだねぇ」 「しかしそこに毒を一匙、垂らしてやろう」 「「颯汰の死に様を思い出せ」」 「縛り首で済ませて良い死を、颯汰は望んでいるのか?」 「縛り首程度の死で購えるのか?」 「「颯汰の命は此奴よりも軽いのか?」」  僕は何かを叫んで、  そして何かを掴んで、  渾身の力で奴の右目を貫いた。 「お疲れ様。ところで、一つ聞きたいのだけれど」 「……何だ」 「颯汰君は、見知らぬ大人に声を掛けられてついて行くような子だったのかい?」 「……いや、知らない大人にはてんで近寄らない…」 「成る程」 「何、気にすることはない。さぁ、帰ると良い。  悪夢はこれで仕舞いだ」  ■■■  青江笑多を送り出し、羽々斬と布都は改めて残された男を検分した。 「ふむ、息がある」 「鑿で眼球を潰されたというのに生き穢い」 「まぁこれはこれで使い道があるからねぇ」 「死体よりは処理がし易いというもの」  さて、と羽々斬は小屋の隅、木板や藁が積まれたその陰から一人の子どもを連れ出した。 男児。怯えきった目で双子を見、そして男を見── 「おとうさん」  呟いた。  羽々斬と布都はそっと、彼を挟んで腰を下ろす。 「ねぇ、伊佐吉胡の息子、伊佐小太郎」 「お前、父親の殺しを手伝っていたな?」 「君が釣り餌。同じ年頃の子が遊びに誘えば、警戒なんてしないものね」 「そして父親は愉しみ──お前は褒められる…否、命拾いをする」 「お前の父親が本当に殺したかったのは、お前だ」  少年──小太郎は大きな目玉に涙を浮かべ、双子と父親とを交互に見るばかりだった。とうに股を小水で濡らしている。 「小さな共犯者。見逃してあげよう」 「父親とは──また何処かで会えるかもしれないぞ」  悪魔の双子は少年の背を押した。少年は弾かれたように駆け出す。父親のことなど捨て置いて。  双子の嗤い声が、耳に染み着いて、頭に響いて──    ■■■ 「ねぇお父さん、あれ、みたい!!」 「なんだ、もう…」 「良いじゃあありませんか、小太郎さん」  時代錯誤の見世物小屋に、息子の何の琴線に触れたものか、矢鱈にせがむ。仕方なしに暗幕の中、入り、見たモノは──  四肢を断たれた男の姿。  演目名は『因果達磨』。  浪々と囃し手が語る。 「此処に座します達磨男ォ!その昔、稚き幼子の手足を毟って食べましたるゥ!天の罰か仏の罰か、男の手が、足が、萎えて細く細く縮んで今やこの有様!」  小太郎は見た。  目が合った。否、ソレの目は潰れている。六本指の悪魔に潰されたのだから。知っている。知っている。  そうだ、コレは、 「父さん」  そうして伊佐小太郎は世界を見失った。   いつかの笑い声が、頭蓋を響かせ、脳を犯して──
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