愚者とナイフ

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 次の日には彼女は復帰した。捻挫だったらしい。  僕にはご褒美として普段の給料分にくわえてボーナスを貰った。  でも、生活費は全て父が出してくれている。父に近づくために父の元でずっと働いている自分は遊びに疎いようで使いみちが母の墓前に備える花か裏方をしている友人との飲み代ぐらいにしか思いつかないから特段嬉しくもなかった。  なによりもあれから数日がたったというのに、僕の手は、目は、脳は、あの時の快楽を事細かに記憶しており、それを望んでくる、それが僕を苛立たせていた。  それを落ち着かせるためにも最近の僕は以前にもましてよく働いている。きっと、時間がたてばいつもの自分に戻れるはずだ。  今日も仕事終わりに友人と近くの酒場で飲んでいた。裏方の中では年も近く、活発だった彼によく連れてこられるのだ。今日も二人で愚痴を言い合っていた。その途中で彼がポケットから手紙を一通取り出した。 「ん、これ」 「なにこれ」 「前にお前が代役で舞台出たときあったじゃん」 「あぁ…」 「あの時に一目惚れしたらしい、ファンだって、若い兄さんだったよ」  手紙を受け取って開いてみるときれいな字で恋文がしたためられていた。 「これ、僕が女だと思われてないか?」 「そりゃそうだろうよ、この前のお前すごい綺麗だったもん」  緊張で全然気付いていなかったが、どうやらこの前の僕の女裝は意外と好評だったらしく、サボり症な裏方の彼は偶然鉢合わせたお客様から問いただされていたようだ。  その後はまた、いつもどおりな会話をしただけだった。  帰り道に近くの店の窓に写った自分を眺めてみる。確かに細見だ、男らしくないと言われ続けてきて男性としての才能には諦めていたが、まさか、自分にそんな才能があっただなんて。これなら、自分の姿、もっとよく見ておけば良かったな…。  そんな風にぼんやりと窓を眺めていると遠くから声が聞こえてきた。 「夜間の外出は控えてください!また、連続殺人犯が出ました!」  どうやら警官だか街の有志だかが声がけをして回っているらしい。  そういえば、今日帰りに姐さん方が危ないから夜は早く変えるようにって言ってたんだっけか。  まあ、明日は忙しくなる予定だし、早めに帰っておこう。  帰り道に向かってあるき出した僕の後ろの道の路地では、どれだけ悲惨なことが起こっていたか…あのときの僕は知らなかった。
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