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あれから一週間と数日がたった。今回披露していた舞台が終わり僕たちは次の舞台に向けた準備が始まっていた。そのために裏方の僕たちはまず道具の準備という難関に立ち向かった。
先輩達とともに大道具の移動に駆り出されて全身の筋肉がはちきれそうなほどに働かされてしまった
。道具小屋を出ると空には満月が浮かびはじめたころだった。隣の小屋がまだ明るいことからするにまだ友人たちは仕事が終わっていないのだろう。
明日もまだ運ぶものが残っているんだよなぁ…。そう考えるととても気分が重くなる。せめて明日の自分が生き残れるように体力を回復しておかないと大変そうだ。
重たい体に鞭をうち友人を見捨てて荷物を抱えて帰路につく。この前のお返しだ。
帰り道の途中でふと一本の路地裏の前で立ち止まった。先週、ここで殺人事件が起きたのか…。たしかに薄暗くて細い道は奥まで見えずらいし不気味で普通は入ろうとは思わないな。先週と違ってもう野次馬も遺体もなくて見物は容易そうだ。
本来ならさっさと家に帰って今の最重要事項の明日の片付けに備えるべきだったが疲れからおかしな高揚感が溢れ僕は夜の路地裏に足を踏み込んだ。
結論から行ってしまえば何もなかった。先程もいったようにもう1週間前の事件現場なのだ。でも、あえていえばあったのは路地裏だからと掃除を手抜きされて残った薄い血痕だけだった。
路地裏から帰ってきた僕は少しの安心感とがっかりした気持ちとともに再び帰路につこうとした。
…その時後ろから声をかけられ肩を叩かれた。あまりにも突然で情けない声をあげながら飛び上がってしまう。恐る恐る振り返ると若い警官が1人厳しい顔つきをして立っていた。
「最近は危ないからこんな路地裏に近付いたらいけないよ、はやく帰りなさい」
「えっ、あっ、はい。すいません」
あまりにも正論だったから素直に謝るしかなかった。そして、素直に帰ろうとすると
「いや、君みたいなこを一人で返すのも悪いか…うん、送るよ、家はどこ?」
と立ち去ろうとした警官が優しげな表情で戻ってくる。
「むこうの大通りの先の公園の裏です、でも、僕、一人でも…」
「むこうの公園の裏ね、僕も気分転換がしたかったから丁度いいや、いこう」
「それはサボりなのでは」と呟く僕を気にせずに「さぁ、行こう」と急かしてくる。
「君、こんな時間まで働いていたの?若いのに大変だね」
「丁度今がそういう時期で…警官さんこそ大変ですね」
「そうなんだよ」と苦笑いする警官は愚痴をたれだした。
「先輩が犯人が帰ってくるかもしれないから過去の現場を見張ってろって言うんだけど明らかに戦力外通告なんだよねあれ」
たしかに、目の前の警官は栗色のくせ毛で優しげで甘い顔つきの美形を持っていて威圧感が少ない上に成人男性より少し上ぐらいの筋肉しかついていなさそうで凶悪な連続殺人犯と戦うには便りなさそうだった。(さらにサボり魔だし)
その僕の考えは顔にも出ていたようで「もー、その目、君も僕のこと弱いと思ってるでしょ」と笑いかけ…
気がついたら僕の両手は警官の片手で壁に押し付けるようにして拘束され、僕の目と鼻の先に警官の美しい顔があった。
一切動きが読めなかったし何よりも早くて理解ができなかった。
そして、混乱しているうちに空の雲が途切れたようで月明かりが建物の隙間を縫って僕たちを照らす。ここまでの至近距離であるために嫌でも目の前の警官の顔が隅々まで見て取れてしまう。すると、見つめ合う優しげだった警官のエメラルドのような目には気が付けば鋭い光が宿っており、この場の緊張感、そして自分の今の立場が思い知らされ全身からどっと汗が吹き出る。
ドクン、ドクン、ドクン。どんどん加速する鼓動を聞きながら無限にも思える刹那の時間二人で見つめ合ったあと
「君、綺麗な手をしているね」
手を放しながら警官が突然僕の手を褒めてきた。状況に置いていかれた僕は呆気にとられて警官の顔をただ呆然と見つめる。
「すごく器用そうで良い手だね…ってあれ、驚かせちゃった?僕ぐらいでも君みたいな少年ならこれぐらいできちゃうからこれに懲りたら次からは油断したらだめだよ。特に君は顔がいいからね、そういう趣味の人も最近多いから」
焦って必死に言い訳をする警官の目からは少し前までの鋭い光は消えていた。
その後は必死に場を持たせようと二人でちぐはぐな世間話をしながら表通りまで出た。そして自宅まで送ってもらい扉をまたぎ、閉めたところで力が抜けてへなへなとへたりこんでしまう。
普通ならあの後逃げ出してしまうのだろう。自分もそうするべきだったのだろう。でもなぜ自分はそうできなかったのだろう。
必死に自問自答を繰り返す。しかしそれは実際には問に対する言い訳を探す作業、答えを隠す作業だった。
だって、その原因が舞台上で感じたような謎の高揚感、快楽、そんなものだと思いたくなかったから。
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