《1985年》

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私はコロラドの片田舎で思春期を過ごした。 両親があんな田舎で暮らす事もなかっただろう。 私はコロラド州のコロラドスプリングスで生まれ育った。 優しい両親に庭付きの一軒家、私は何不自由なく暮らしていた。 母は薔薇(バラ)がとても好きで娘が生まれたら必ず“ローズ”という名前にすると言っていたらしい。 そして生まれたのは女の子で私だった。 庭には母が愛情を込めて丹精に育てた沢山の薔薇がまるでお伽話(ときばなし)の世界のように美しく咲いていたのを今でも覚えている。 そんな両親が不慮の事故で亡くなった時、私は13歳だった。 そこから私の暮らしは180°変わってしまった___ 両親が亡くなった悲しみに浸る間もない内に、私は遠縁の親戚のロイ叔父さんに引き取られる事になった。 慣れ親しんだ家を離れる時、私はどれだけ泣いただろうか... 両親との思い出が沢山詰まった我が家、母の大切な薔薇、そして二度と会えない両親の事を思うと13歳の私にはあまりにも辛い現実だった。 ロイ叔父さんは郊外からずっと離れた田舎町で暮らしている。 歳は当時50代後半だっただろうか..農業で生計を立てながら一人暮らしをしていた。 恐らくこの町の住人達の殆どは農業で生活していた。 私が初めてあの片田舎にやって来た時、周りには広大な畑がただ広がっているだけだった。 唖然としていると、何処かの牛舎から牛が鳴く声が聞こえていたのを覚えている。 私が暮らしていたスプリングスとは全くといっていいほど別世界だった... 叔父は二階建ての一軒家にキングという名前のオーストラリアンシェパードを飼っていた。 玄関ポーチや家の中の階段は歩く度にミシミシと音がし、私は夜中二階からトイレに行く時は叔父を起こさないようにまるで泥棒にでもなったかのように忍び足で何年も歩いた。 叔父は唯一の親戚だったので私の両親の保険金から事故の慰謝料、家と土地を売却したお金を、私を引き取ることを条件に叔父が相続した。 私がやって来た頃には家と同じ位、年季の入ったトラクターを何万ドルの新しいトラクターに買い換えていた。 正直、トラクターより家を建て直して欲しかったのが私の本音だ。
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