木村家

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木村家

美流渡(みると)地区には 芸術家だけじゃなく パン作り フラワーアレンジメント 美味しいメニューのカフェ等 様々なユニークな才能の持ち主が 移住してきている。 移住者はもちろん 地域の方々も みんな親切で良い方ばかりなのだが 私の住む家は 集落から少し離れているため こちらから出向かない限りは 何日間も 誰とも出会うことはない。 家の前にある足跡は キタキツネか ウサギか 鹿か ネズミか エゾリスか というほど 深い森の隣。 「寂しくないんですか?」 「怖くないですか?」 と 初め移住して来た頃は 何人かの方々に聞かれた。 私は もともと 一人で絵を描くのが好きで 一人で音楽を聴くのも 読書するのも ヨガをしたりマラソンしたりするのも好きで 一人は苦にならない性分だ。 逆に言えば 誰かと一緒に何かをすることが苦手。 相談して何かを決めるとか お互いの気持ちがすれ違っていないか確かめるとか 自分以外の他人と事細かに意識を共有するなどということは 考えただけで頭が痛くなる。 だから こんな森の隣の一軒家に一人で暮らしていても 寂しいとか 怖い と 思ったことはなかった。 朝 窓辺に 雪だるまが置かれていた日の 夕方。 移住者の中では最も古い 70歳近い画家の佐川さんが尋ねて来た。 親戚から たくさん干し柿が送られてきたからと おすそ分けに持って来て下さったのだ。 その時 佐川さんが 何気なく語り聞かせてくれた この家の歴史に 私は 卒倒寸前に 驚愕した。 佐川さんが ここへ移り住んだ頃 この木村家には 木村正和さんご夫妻と 正和さんのご両親 二人の息子さん 合わせて6人が生活していた。 正和さんのご両親は もともとここで農業を営んでいた。 正和さんは電気関係の技術者で 若い頃は地元の炭鉱で働いていたが 炭鉱が衰退してからは岩見沢市内の会社に勤めていた。 息子二人のうち 長男は心身が弱く ほとんど家から出ることもなく 絵ばかり描いていた。 次男は札幌市役所の職員になっているはず。 佐川さんが移り住んで来た時 正和さんから 家に引きこもっている長男 正美さんに 絵を指導してほしいと依頼された。 けれど佐川さんは 正美さんと会話することはできなかった。 正美さんは 極端な人嫌いか 自閉症か何かで 何を尋ねても返事をしないばかりか 佐川さんと目を合わせようともしなかった。 それでも佐川さんは 簡単にあきらめず 正美さんの描いた絵の特性から彼の志向を想像し 正美さんが気に入るであろう画集や詩集などを何冊か 黙ってプレゼントした。 そんなことが1年も続いた頃 正美さんから 佐川さんに 一枚のハガキが届いた。 ハガキには 薄っすらと色づいた山ぶどうの水彩画が描かれていた。 ああ やっと 心を開いてくれたんだな と 佐川さんは感動した。 ところが それから間もなく。 11月の初めだというのに 大雪が降った。 その雪で 正美さんの部屋にあったFF式石油ストーブの排気口が塞がり 正美さんは一酸化炭素中毒で亡くなってしまった。 まだ30歳位だった。 「もう10年以上前の話です。生きていれば 42~3歳にもなるでしょうか。繊細な感性の持ち主だった。もっともっと絵を描かせてやりたかった。いろいろな絵を見せてやりたかった。残念な 悲しい事故だった。」 佐川さんは そう語り 目頭を押さえた。 目頭を押さえながら また こう続けた。 「それが あなた どういう訳か 最近 ちょくちょく俺の夢に現れるんです。しかも とても元気そうな様子で 生き生きして絵を描いているんです。」 佐川さんは 家の様子を見渡しながら 感慨深そうに こう言った。 「木村正和さんのご家族は その事故があって 皆さん この家に住み続けることが辛くなられたのでしょう。札幌市内に中古の家を買い 間もなく引っ越して行かれました。しばらくは ここは空き家になっていたんですがね。正和さんは何年か前に 相当なお金をつぎ込んで ここを改築なさった。時々 正和さん一人で泊まりに来ていたようですが たまたま移住プロジェクトの関係者から あなたが移住を希望なさっている話が出て ふと 気持ちが揺らいだのでしょうなあ。こんなことを言っちゃ何ですが 俺は きっと 正和さんは 正美さんのために この家を改築したんだと 思ってたんです。正美さんの残した絵を飾って 正美美術館にしたかったんじゃないのかなあ。だけど実際 画家のあなたが住んで下さるなら めったに人が訪れることもない美術館にするより むしろ正美さんの供養になると考えたのでしょう。」 私は めまいがした。 心臓がバクバクして どうにかなりそうだった。 「すみません。ちょっと体調が悪くて。干し柿 ごちそうさまです。また ゆっくり お話 聞かせて下さい。」 佐川さんは 「大丈夫ですか? あまり苦しいようなら遠慮なく何時でも電話下さいよ。こんな山奥の一軒家ですから。心配だなあ。」 と 言って下さった。 『大丈夫。正美さんが一緒だから・・・』 と 心の中で 私は思った。
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