お■が呼んでいる

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 何かを突然思い浮かべろと言われたら、僕は真っ先にこれを思い出す。  広く澄み渡る空間に、悪趣味とは思えない程に煌びやかな光景。  沢山の花に囲まれ、真ん中の質素な箱の中に穏やかに眠る人。  そう、おじいちゃんの葬式であった。  僕はその当時から他の人に比べて理解力が低く  葬式会場の綺麗な空間に浮かれてはしゃいでいたと思い出す。  当時流行ったゲームの技に擬えた事を言ったのかもしれない。  だからなのか、うちの家族だけは常に空気が悪かった。  だけど、愚かな僕には関係なかった。 「ここはお葬式なのよ?」 「『おそうしき』ってなに?」 「死んだ人をこうやってあの世に送るの  あなたもお母さんが死んだら悲しいでしょ、だから」  多分、注意に来た親族は僕の顔を見て満足したのだろう。  それからは僕は一言も発しなくなったからだ。  でも……  そう、誰でも死んだらあのように悲しんでくれる。  煌びやかに飾られて、真摯に『あの世』へと送ってくれる。  何よりもあの箱が最高だ。  胸に抱えれるそれに、先程死んだ人がそのまま全て入る。  上から頭、喉仏、肋骨、背骨、腕の骨、骨盤、足の骨。  あれだけ大きかったおじいちゃんが、コンパクトに収まっている。  そしてこの箱は『仏』という神様になるらしい。  ああ、誰もがあの箱を大切に扱う理由が分かった気がする。  あんなにも芸術的な物が……!  当時の僕は一瞬にして箱に魅了されてしまった。 ◇◆◇◆◇◆  あれから二十年も経過した。  僕は皆と一緒に社会人となって労働の苦しみを分かち合って……いなかった。  『シンソツ』と呼ばれる機会をたった1度の寝坊で台無しにし、こうして路地裏を彷徨っている。  貯金が尽きて4日目。  そろそろ公園の水だけではキツくなった。  小さい頃は4日ぐらい何だかんだで耐えれたのに、寄る年波というのはここまでなのか。  スマホを取り出して、通話をしようとする。  そこで漸く『運悪く料金未払いによる停止』にかち合ってしまったのだと気づく。 「どうしよ……ッ!」  思わず口を塞ぎ、周囲を見渡す。  当たり前だがこんなところに誰かがいる筈がなく、ほっと胸を撫で下ろす。 『何を寝ているんだ!!』 「ひっ!!!」  もう一度周囲を見渡す。  だから、こんなところに誰かがいるわけがないだろ……全く。 『何で忘れてんだよ使えねーな』 『邪魔なんだよどけ』 『仕事を舐めてんのか』 『本部にお前の事報告してやったから……』 『お疲れ様  きつく当たり過ぎて悪かったよ』 『■■の○○社長から  今回は不幸な結果となりましたが、これで諦めずにこの業界に挑戦してください』  ……もう、お金がないや。  何なら友達も、家族も、飲み物すらない。  そう言えばなんであんな会社に入ってしまったのだろう。  あの箱を作る会社が『ブラック』だと聞いて失望したから?  趣旨替えして、趣味を『他人の為』と着飾って、無節操に選んだから?  ……誰も答えてくれない。  履歴書が書き換わるたびに、僕が壊れていく。  善意で、仕事で僕を支援してくれた人が、ちくちくと僕を否定する。  それに比例して友達の数がどんどんと減っていく。 『いや、でもさすがにお前の趣味は引くわ』 『こ、個性的だね』  そう言ってきた人に限って、スマホの連絡欄以外の繋がりが消えてなくなる。 『……』  また聞こえる。  お墓が僕を呼んでいる。  何も良いことが無かっただろ?  自分以外が幸せを手に入れて妬ましくて苦しかっただろ?  誰にも気持ちを打ち明けられずに空しかっただろ?  テレビが、SNSが『こうだ』と報じないと、自分の愚かさに気づけなかっただろ?  それに架空の存在すら……  ほら、そこに入れば楽になれるよ?  誰もお前を騙さない。  誰もお前を訳の分からない理由で脅してこない。  誰もお前を無視することは無い。  誰もお前の不幸を踏み躙ったりはしない。  誰もがお前を『仏』として認めてくれるぞ? (……でも、■■の最新話が気になるな) 「うぐっ!」  突如胸の中心から凄まじい熱が沸き上がる。  呼吸できない程の苦しみにもだえ苦しむ。  別に変なものは食べた覚えはない。  水だって腐っていなかったはずだ。  尻から汚物がこぼれていく。  それでも痛みは引かず、やがて体全体を包み始める。  痛い痛い熱い臭い汚い苦しい渇く疲れる痛い閊える痺れる零れるはち切れる  熱い苦しい助けて喉が痛い鼻が痛い腹が痛い腕が痛い汚れる悲しい空しい  死 『あなたもお母さんが死んだら悲しいでしょ?』  こんな筈じゃなかった。  どうして俺だけ……どうして何もかも我慢した俺だけ…… ◇◆◇◆◇◆  目が覚めるとそこは見たことのない野道であった。  急に跳ね起きても、あの時の激痛が嘘のように無い。  どころかずっと俺を苛んだ苦しみすらも取れて過去最高に楽だ。 「はは……」  俺の足は煙たい田舎の道を走り始める。  森の中に入ると、立ち並ぶ露店で途端に明るくなる。  色んな人が色んなお店で楽しんでいる。  試しに僕も一つ。 『すみません』 『ん、冥銭は持ってるか?』  ポケットをまさぐってみる。  あれ、おかしいな……肌身離さず持っていた財布が無い。 『冷やかしなら帰んな』  一瞬おっちゃんの顔が上司に見える。  怒りが沸き上がるよりも先に、あの苦痛が蘇る。  酷く限定的な静寂の中で  数多の目に嘲笑われている。  さがない人差し指が、俺の身体を刺し貫くようだ。  辛い、悲しい、空しい、居たたまれない。  今すぐ離れたい。 「どうしたのですか?」  一人の女性に声を掛けられる。  たったそれだけなのに、激しく動揺して返答にならない呟きしか漏れてこない。 「もしかして、迷子だったりしますか?」 「あ……えっと……」 「仕方ないですね、こっちですよ」  女性と手をつなぐ。  生前では叶えられなかった夢を死後にて得た。  夢心地の時間も数分で終わる。  目の前には無限の光を放つ巨人がいた。  そこに長蛇の列ができていた。 「何ですか、これ?」 「阿弥陀如来様よ  南無阿弥陀仏と唱えたら浄土に連れて行ってくれるって」  その言葉には聞き覚えがあった。  だがそんな意味だとは今の今まで知らなかった。 「さぁ、貴方も……あれ?」  随分と不安そうな声が掛けられる。  思わず不安になって、催促の声が口をついて出てくる。 「何かあったのですか?」 「貴方それ■■宗ね……それじゃあ無理だわ」 「む……無理ってどういう」 「ごめんなさい  元来た道に帰って頂戴」  不安は驚くほど呆気なく的中した。  ああ、本当に不幸は『連なる』んだな……と。  別れの挨拶もすることなく  どころか振り向きもせずとぼとぼと元来た道を戻る。  藪の一刺しが連なって脚に血や腫れを生じさせながら……  気が付くと、自分は門の前に立っていた。  その先に仄かな明かりに照らされる厳かな建築物が見える。 『貴方は■■ですね』 「ええ、そうですが……」 『長旅お疲れさまでした  そこに腰を掛けてお待ちください』  たった事務的な反応でも、砂漠の水のようにありがたい。  だから、次なる不幸に気になって目が忙しなく動き始める。 (……疲れた)  もうこの体は肉体的な疲労を感じるものでは無いのかもしれない。  だが、生前嫌という程味わった感覚を、単なる思考だけで再現してしまう。 『■■さん、お入りください』 ◇◆◇◆◇◆  結論から言うと地獄であった。  それは生きているときに聞いたであろう閻魔の裁き。  だが、10回も繰り返された。  しかも、身に覚えのない罪を読み上げられる。  裁きが終わるたびに、待合室も管理人も  恐らく仲間達のガラまでも劣悪になっていく。 (……俺は、こんな人間じゃない!)  叫びたいが、全員の人相が悪すぎて悲鳴すら上がらない。  まるで生前の学生生活のそれのように…… 『■■!  テメェの裁きは終了した、出ていけ!!』  最早蹴飛ばされるように裏口から叩き出される。  顔に付いた砂を払い、のろのろと立ち上がる。  道は一本、川へと通じている。 (あれが……三途の川?)  振り向いても門は固く締められ、高塀が戻る気力をへし折る。  自分は前に進むしかないらしい。  意外に道は短く、10分もしないうちに辿り着く。  水しぶきは黒く、近づいてもない自分に飛沫がかかっている。  川は唸り声をあげるように荒れ狂い、最早渡れるような代物でない。 (こんなの聞いてないぞ……!)  だがよく見れば船着き場がある。  さらに渡し守が待機しているので、彼に話しかけてみる。 「すみません、この川を渡りたいのですが……」 『……冥銭は持っているか?』 「ありま……せん……」  渡し守があからさまに舌打ちをする。  確かに対価なしで乗せろという自分の意見は常識に反しているが、渡し守の反応は更に斜め上をいった。 『どうせ此岸の屋台で使い切ったんだろ  これだから6文程度も残せないクズは……』 「な……最初から無かったんですよ!  何ですかその言い方は、非常識です!!」 『最初から無いだぁ? そっちの方が非常識だアホンダラ!!』  渡し守に蹴飛ばされる。  ついでに門までぴしゃりと閉められる。 『二度と甘えた口を利くんじゃねぇ  そんなに渡りたきゃ自分の力で渡るんだな!!』  呆然と立ち尽くすしかない。  だが感傷に浸らせてくれないらしい。  突然タックルしてきた人影と揉み合いとなる。 「いきなり何をするんですか!!」 『ヨコセ……ゼンブヨコセ……ェ!!』 「お断りします!!」  だが自分の方が口だけであったらしい。  鮮やかな投石と、組み敷き、怪力引き剥ぎの3人組の連係プレイで成すすべなく全てを奪われる。 「ま、待て!!」  だが、更に囮役に姿を晦まされ取り返す可能性が皆無となった。  今度こそ呆然と暴河の畔を歩き続ける。  やがて、ある構造物が見えてくる。  そこには先程の引き剥ぎとは違う人影が『慎ましく』暮らしている様子が見えた。 (あ……そうか、彼らも)  そうして俺も漸く決心がついたらしい。 『……』  すると、あの時の呼び声。  ああ、川の先から幸せそうな声が聞こえてくるではないか。 「はは……そうだこんなことをしている暇は無かったんだっけ」  ああ、辿り着こう。  詐術も脅迫も、虚無も理不尽も  ありとあらゆる『嫌』から解放されるそちらに  例え頭まで水が浸かったとしても、いつか…… ◇◆◇◆◇◆ 「親方、本当にいいのですか?」  先程の三途の川の渡し守の丁稚ともいうべき人物からの疑問。  だが、渡し守はその険しい顔に反して一言。 「良くはねぇ」 「じゃあどうして……」 「冥銭を使い果たした奴は乗せられねぇ  それがここのルールだ……守れねぇクズは畔で醜男醜女に成り果てる」 「だが、アイツは最初から持っていなかった」  渡し守は丁稚の理解してなさそうな顔を見て頭を掻く。 「そういやお前の出身は」 「えっと……無量光天からです」 「それじゃあ輪廻転生はまだか」 「はい、そうなります」  そこで漸く丁稚の置かれている状況に気付く。  確かに彼は『あの男』に課せられた運命を理解できてないのだろう。 「それで……どうしてですか?」 「冥銭はな、人間として生きている限り必ず貰えるものだ  尤も自殺したり地獄行きが確定していたり、無縁仏でもなければの話だが」  丁稚がまだ要領を得ていない。  テキトーに呟いているだけの声が妙に耳障りに感じる。 「あの男には三悪趣に落ちるような業は無かった  ならば、奴は無縁仏だ……生贄(みせしめ)としてのな」 「見せしめ……ですか?」 「そうだ、人々が前を向けるように  必ず社会に一人作成される『悪の見本市』たる生贄(みせしめ)さ」 「でもそんなに悪いようには……」 「ああ、だからその社会の平均値から作られるんだよ  非常識な大悪よりも、身近な小悪を見て人は身なりを正す」  丁稚はそれでもピンと来ていない。  確かに、欲界の住人ではないのだからそういった性悪説には疎いのだろうか。 「奴はその為に生まれた、だから悪く見えなく作られるんだ  但し、環境はその社会で最悪のものが敷かれ、徐々にその心を歪ませていくんだが……」  ふと、川にざぶざぶと入る自殺志願者の姿が見えた。  間違いなく先程の男なのだろう。 「止めなくても……いいのですか?」 「ああ、奴はそういう渡り方をするんだからな  あの状況では反省もないから地獄も門前払い……なら行先は一つ」 「げ……現世ですか……!?」  さすがにそれは丁稚でも気づく。  輪廻転生に背く大悪が今この瞬間に為されようとしている。 「だ、駄目です!  冥銭が無くてもせめて地獄に送らないと……!」 「まぁ、待て  俺はこの手の輩を何度か見ている、誰一人として結末は同じだ」 「だがお釈迦様は何もしない  つまりはそういうことだ……仕事に戻るぞ」  渡し守が丁稚をつまみ上げて船へと乗せる。  不安そうな死霊達を落ち着かせるために自己紹介を促す。  それでも彼らはこの『江深瀬』の藻屑となり、地獄に漂着するしかないのだが…… ◇◆◇◆◇◆  いつの間にか俺は見覚えのある山中に転がっていた。  確かここは地元の○○山で、トラックが頻繁に出入りするから通称…… 「生ゴミ山……」  少年の時の記憶が悪臭と共に蘇る。  そう言えばここはあのいじめっ子達が好き好んで俺を痛めつけた場所か…… 「でも、それじゃあ俺は生きて……」  ふと、ごろりと転がったズタ袋と目が合った。  敗れたところから見える顔や体の特徴は、俺のそれと瓜二つの。 「はは……は……」  生まれて初めて、呵々大笑してしまう。  余りの惨めな死に様に……そのくせ故郷にあと一歩届かない中途半端な場所で  こうして他の生ごみたちと一緒に捨てられているのだから、これが滑稽以外何だというのか。  でも、涙は止まらなかった。  冥銭が無いとは即ち葬式は上げられなかった。  どころか、普通は市役所が焼却処分するところをこうして怠慢に捨て去られているのだ。  死後ですら忌まれていた。 「こんなんだったら最初から……ッ!!!」  地面を思いっきり叩いた衝撃なのか、ふと何かが転がり落ちてきた。  それはあの時見た人一人が納められるサイズの、そして妙に木目が綺麗で魅了されそうな箱。 『……』 「お前が、呼んでいたのか?」  多分妄想か何かだったのかもしれない。  でもここには箱と、俺の死体が揃っているのではないか。  早速準備に取り掛かることにした。  火をつけることはできなかったが、死体の強度は脆く容易にちぎれた。  どころか何らかの法則で折り畳み縮めることができるのだ。 (楽しい……!)  それを箱の中にせっせと詰めていく。  まるでジグソーパズルのようにカチリと嵌っていく快感に酔いしれる。 「そうだよこれだよこれ!  ……どうして俺は、こっちを目指さなかったんだ!?」  あの時の後悔が吐き気と共に蘇る。  善意の偽装で会社のお眼鏡に合わせるたびに感じていた違和感。  それらすべてが氷解し、怒涛のように迫る好奇心に手が止まらない。  いつの間にか日も暮れ月も沈んだ深夜の一時。  窪んだところに目玉を添えて、自分の死体が箱の中にすっぽりと収まった。 「ああ……すごい……これなら……!!」  こんな達成感は無い。  生きているときに終ぞ得られなかった実物が、自分の目の前に転がっている。 『さぁおいで  ここには幸せが待っているよ』  どころかあの呼び声が明瞭に聞こえてくる。 「ああ、今すぐそっちに行くからな……」  自分の身体をよじらせて、何とか箱に収まろうとする。  魂だけの背骨や肋骨が折れて少々苦しかったが、じきに慣れてしまった。  そこには肉の温かみと、それ以外の全ての悪を感じなくなった理想郷があった。 「幸せ……  ああ、快感」  漸く俺は本当の安らぎを  俺を認めない全てが何一つ存在しない『本当の仏の世界』に  これが、これこそが俺の救済だった……! ◇◆◇◆◇◆  この山は皆から『生ゴミ山』と呼ばれていた。  でも私にとってこの山は宝の山だ。  割れた綺麗な破片に、古のミステリアスな紙幣  ありとあらゆるものが無造作に放り棄てられた混沌の美。  私の求めていた美がそこにあった。 「……」  特にお気に入りのものがある。  それはこの不思議な木目細工の箱だ。  木目の綺麗な整合性  木にあるまじきずっしりとした重量感  そして、今にも動き出しそうな温かみ  パーフェクトであった。  それを何度も絵のテーマにし、コラージュにし  あまつさえ動画にして撮っては■■に上げて万バズを荒稼ぎ  私の全てはこの箱にあるのだ。 「でも、そうだね  中身はちょっと気になるかな?」  テレビ局の取材から私がそう答えてみせる。  まだこの箱は表層しかない……その隠れた可能性を引き出したい。  恐らくはテレビ局の人間もそう脚色してくれるはずだ。  だから、日本ではそれなりに知られる専門家が呼ばれ  箱と格闘する事数時間……日の暮れたある時に漸く蓋の仕掛けが外された。 「ではせーので見てみましょう」 「何ですかそれ、大げさね」 「うちの伝統なんですよ  さあ依頼者さんも一緒にせーのっ!」  その瞬間に世界が凍り付いた。  誰もが腰を抜かし、カメラマンに至っては発狂してしまっている。 「え……?」  箱からとめどなく血がこぼれ続ける。  どう考えても箱の体積を超えるそれがとめどなく溢れ出る。  だが問題はそこではない。  彼女は合ってしまっている。  箱の頂上に収まった二つの眼球と、視線がかち合う。 『アケタナ?』
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