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◇◇◇
楚山から泣き声が響き渡るという噂が流れた。
楚の文王は即位したばかりで、その噂をいたく気に病んでいた。その声はまるでこの世が終わったかのように、長く寂しく尾を引いて聞こえたらしい。その泣き声は即位後の3日3晩の間響き続けていたというから、まるで文王の即位が天意に反するように思われかねないものだった。
文王は諸国平定の野望を抱いていた。だからこのわけのわからぬ不吉な泣き声をそのままにしておくわけにはいかなかったのだ。
文王は配下に速やかな調査を命じると、原因はすぐにわかった。
その泣き声の主は卞和という老人であり、声が枯れ果てた後も楚山の麓で無音の叫びを上げ続けていたらしい。その老人はかつて2回足切りの刑に処された者であることもわかった。
先代の武王と先々代の厲王を謀った罪で、それぞれの左右の足を切断されたということだ。なんだ、罪人の恨み言か。文王はそう思った。
しかし解せぬことがあった。最初に左足を切断したのは先々代の王の時だ。もうかなり昔の時分だ。なぜいまさら泣くのだ。しかも私が即位した時に当てつけのように。
だから文王は使者を送った。文王と関係ないのであればそれを明らかにする必要がある。そうでなければ人心は収まらぬ。
「足切りの刑を受ける者は多い。王を謀ったとあれば重罪だ。足切りですんだのは僥倖ではないのだろうか。何故泣くのだ」
「王様、私は楚山で宝を見つけました。それは素晴らしい玉なのです。原石ですが私にはわかります。先々代と先代の王様の即位を喜ばしいと思ってこの玉を捧げました。けれどもこれは玉ではなくただの石だと言われまいした。私はただ即位を祝いたいと思っただけですのに」
「そうであるか。だがそれは過去のことであろう。何故今泣くのだ」
「王様、私のこの石は磨かれていないだけで本当に素晴らしい玉なのです。私はこの玉を王様に捧げたいと思っています。でも王様にも信じてもらえないでしょう。だから私はこの玉を抱いて泣くしかないのです」
文王はため息をついた。
記録を調べたら、過去の2王とも名のある職人に確認させたという。その結果はただの石。つまり、卞和は狂人だ。職人が確認して石と判断した。そうであるならばやはり玉ではなく石なのだろう。職人でもない卞和が玉なのか石なのかわかるはずがない。
そう側近に相談したが意外な声が帰ってきた。
「それであれば職人に磨かせればよいでしょう」
「石をか?」
「石であっても、です」
「無駄ではないか」
「職人に払う費用がいかほどかかるというのですか。それならば明らかにしてしまったほうがその卞和とやらも納得するでしょう。悪しき噂を払拭することこそが王に必要なことです。万一本当に宝であったら、それこそ儲けもの。美談にもなるでしょうな」
「なるほどな。それも1つか」
そこで文王は早速その石を磨かせた。
するとなんと、磨くがごとにじわりと光が湧き出、見事な璧が現れた。
文王は即座に卞和のもとを訪れ、頭を下げた。卞和は喜んでこの璧を文王に捧げ、文王はこの素晴らしい璧に『和氏の璧』という名をつけたという。
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