第一章

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 4月24日   わたしは病気になりました。  とても重たい病気みたいで、何度も何度も検査を繰り返し行いました。正直、ここまでしなくてもと思ったけど、先生がどうしてもと頭を下げるから、それに付き合ったところ、わたしは余命宣告を受けました。このことをどう受け止めたらいいか分からなかったから、とりあえず日記にしてみました。  わたしにしてはナイスアイディア!  だって、こんなこと誰にも話せないからね。  4月27日   まだ入院する必要はないというか、わたしがそれを断りました。  先生は猛烈に反対していたけど、仕方がないよね。  わたしにはわたしなりの青春があるし、急に病気なんかで入院ですなんて言ったら、早苗とかが悲しんじゃうだろうし。ああ、なんでこんなことになったのかな。  まだまだ先は長いと思っていたのにな。   そうだ、今日からあれをやってみよう!  死ぬまでにやりたいリストってやつ。  一度やってみたかったんだ。  ――死ぬってなんだよ……嘘だろ。  心の中でそう言ったつもりだったのだけど、どうやら口の外へと漏れていたようだった。 「嘘じゃないよ。それは本当のこと」  ドアの開く音なんて聞こえなかった。  僕は慌てて、メモ帳を閉じる。あれから時間はそれほど経っていないのに、ドアの前に篠田さんは立っていた。僕は何事もなかったように、元あった場所にメモ帳やらを戻し、何食わぬ顔で篠田さんの横をすり抜けようとした。  不幸にも右手が掴まれる。 「わたしはさ、このことを誰にも言わないつもりだった。どうしてかわかる?」  僕は何も言葉にできなかった。暇さえあれば読書をしているのに、思い浮かぶ言葉は陳腐なものばかりだ。もどかしい想いは沈黙が続くほど大きくなっていく。一瞬が永遠に続くのではないかと思うほどだった。  沈黙を割いたのは篠田さんだった。 「何かが変わっちゃうんじゃないかって思ったんだ。だって、いつも当たり前にいた人が死ぬって言ったら、今まで通りではなくなるに決まってるし。腫れ物を触るような扱いだけはされたくないからね。だから、言わなかった。いや、言えなかった」  その言葉は本来僕に向けられるものではなかったはずだ。僕よりも大切に想ってくれる、例えば白坂さんとかに向けられるべきものだ。 「ちゃんと言ったほうがいい」  篠田さんだってそのことは分かっているはずだ。それでも、悩んで、苦しんで、誰にも打ち明けられず、独りで闘ってきたのだろう。 「だから、ちゃんと今きみに伝えているじゃない」  篠田さんの手は震えていた。それを振り払ってまで、僕はここを出ようとは思わなかった。そういう自分の弱さが憎い。 「いや、そうじゃなくて……」  僕はそれ以上の言葉を紡げなかった。  静かに時間だけが流れる。遠くの方で看護師さんの威勢のいい声が響いてくる。そして、けたたましいアラーム音が聞こえた。ここは、そういう非現実的なものに満ちている。  あれほど日常から飛び出したかったのに、今は学校の混沌とした日常が恋しい。  篠田さんが息を吸った。 「きみはどこまで知っているの?」  的を射ない質問に、僕は俯いていた顔をあげる。 「何も知らないさ」 「そっか。いや、気にしないで」  さっきまであった明るさはもう消え去っていた。  ちゃんと病院の空気に馴染んでいる。 「じゃあ、帰る」  篠田さんは諦めるようにして僕の右手を離す。  病室のドアに手をかけ、あとはゆっくりと日常に戻るだけだった。 「ねえ、また来てくれる?」  僕は何も答えられなかった。こんな苦しい空気を二度と吸いたくはないし、僕は篠田さんにとって必要な人ではないだろう。  僕はただ前だけを見つめて、ドアが閉まるのを待った。  もうここには来ないと心に誓う。 「またね」  今にも消えそうな声は僕の脳内でこだました。  そのたった三文字が僕の胃の奥をずしりと重くさせた。  
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