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これまでの人生で、これ程までに強い緊張と喜びを同時に感じる日はあっただろうか。
優雅に流れるクラシック、煌びやかなアンティーク家具、洋館をイメージさせるシルバーの燭台――。こんな非日常空間に飾られた壁掛け鏡の前に立って自分と睨めっこしながら、かっちりとしたタキシードにはこれくらい強張っている顔が似合うと言い聞かせていた。こんな喜ばしい日だというのに、多少緊張が勝っているせいで上手く笑えない。
雄二が鏡の前で前歯を覗かせていると、留袖姿の女性が扉からゆっくりと姿を現した。
「どうしたのさ、ニヤニヤしちゃって。笑う練習でもしてたのかい」
「なんだ母さんか、驚かせるなよ」
振り返った雄二は、頬を赤らめながら頭をかいた。
「そうそう。朱里ちゃん、ドレス着終わったから見に来てってさ。すっごく綺麗で、私まで感動しちゃったんだから」
「……そっか。わかった」
「さっきから何堅苦しい顔してんだい、まったく。ほら、早く見に行きなさいったら」
背中を押されながら控室を出た雄二は、母親の指先を伝って心臓の音が届いているのではないかと妙な心配をしていた。
「ほら、新婦控室はそこの扉だよ」
「わかったから背中を押すのやめてくれよ、子供じゃあるまいし」
やれやれといった表情の母親を横目で見ながら、雄二は豪華な彫刻が施されたドアハンドルを握った。
実を言うと、少しだけ緊張の糸をほぐしたくれた母には感謝している。もし一人で朱里のドレス姿を見に行っていたとしたら、きっと私は人目も憚らず涙を流してしまっていたに違いない。
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