〜エピローグ〜 自由な薔薇

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〜エピローグ〜 自由な薔薇

     ✾  ――  そう刻まれた墓石の前で手を合わせると、私はふうっとため息をついた。  あたりには供えられた花と墓土、そして線香のにおいが漂っている。一陣の風が草木を揺らす。  春の陽射しは柔らかで私の前で薄桃色の花びらが舞っていた。  風がぴたりとやみふと静寂が訪れる。  いま、私の鼓膜を揺らすものは何もない。  限りなく広がる静謐の中に、私はあの夜を思い出した。  嵐の夜、私たちが学校に閉じ込められたあの日。。  一人は、私の親愛なる姉妹・緋衣涼。  そしてもう一人は、私の大切な友人だった。  涼は胸を刺され、雪江は校舎の屋上から飛び降りた。  私はそっと瞑目する。  涼は都会からほど近くの小洒落た小さな墓地に葬られていた。  私はゆっくりと祈る。  何に祈っているのだろうか。  ふと疑問に思った。緋衣家から追い出されもうすでに涼とは縁が切れたはずだ。  なのに、何故?  ――決まっている、これは涼とのなのだ。  あの日以来、日本ではとある過激派のテロ組織が精力的に活動を始め女学園で起こった小さな殺人事件のことなどほとんど報道されることはなかった。  私は彼女の墓石の前に小さなを飛ばされぬよう小石とともに供えると、再び瞑目し黙祷を捧げる。  そして墓石に背を向け、歩き出した。 「もういいのか?」  気が付くと一人の少女が目の前に立っていた。  身軽そうな短髪、ほどよく筋がついたその身体。そしてその、利発そうな黒い瞳。  私はその姿をよく覚えていた。 「董子……」  あの夜、唯一ほとんどの時間においてアリバイがあった人。  そして彼女は警察の見解である、雪江は自殺であり涼を殺した犯人だという説をマスコミの前で頑強に否定し続けていた。 「行くんだろ? イギリスに。  涼との最後の挨拶になるかもしれねえんだから、もう少し名残を惜しんでもいいんじゃねえか?」  董子は優しい子だった。彼女はその言葉の崩れ具合には似つかわしくない、淡い微笑みかべる。 「イギリスに行くと云ったら聞こえはいいけど、事実上の島流しよ。緋衣家との取り決めで、私は今後日本に戻れない」  私は自嘲気味な笑みを浮かべて、自分のポケットの中に入っているを、そっと握った。 「あなたこそ、こんなところに何しに来たの? たしかあなたの家からはだいぶ離れた場所のはずなんだけど」  春の温かい風が、私たちの間を過ぎた。 「もういいんじゃねえか? とぼけるのは――」  風で彼女の長い髪が吹き上がる。董子は髪をひと撫でして落ち着かせると、 「ボクは知っているよ。?   緋衣さんを刺殺し、雪江を屋上から落として殺害した。その真犯人は、?」  彼女は相変わらず鋭い視線で私を見る。 「何を云い出すのかと思った。私が犯人? 探偵であるこの緋衣玲が、犯人だというの?」  彼女はゆっくりと息を吐くと首を横に振り、 「それは違う」  と云い切った。 「。    そうなんだろう? 本当の、」 「あ、あはははは――」  私の喉から笑い声が漏れる。 「あは、あは、はははははははははははははははははっ‼」  それはもう、二度と出さないと誓ったはずだった。  だけどどうしても止められない。こんなに可笑しく感じるはいつぶりだろう。私はこの半年間、封印していた涼の語調で、高らかに笑った。 「アタシが犯人だって?」 「ああ、さっきそう云ったはずだけど。緋衣涼」  董子からの声からは焦りも驚きも感じられなかった。ただただ彼女も不敵に笑っていた。  私は同じクラスになってから、こいつの笑みが大嫌いだった。雪江の作り物の笑いの方がまだ可愛げがある。 「へえ、面白いじゃん? アタシが犯人ねえ。  それで、根拠はあるの?」 「根拠? 根拠などない」 「根拠はない? あははははっ‼ こりゃあとんだ名探偵だなあ‼ そんなんじゃ探偵どころか助手も務まらないよ。傑作だ‼」  私はまた笑った。 「海棠を抱き込んだんだろ? お前の計画には、自分の死を確定してくれる人が必要だったからな。  お前はあの後すぐに転校してしまっていたな。家の中でいろいろないざこざがあったからなんだろうけど――。  あの後、海棠がどうなったのか、知っているか?」 「…………」  私は沈黙で返す。 「海棠はほどなくして死んだよ。あの日以来、精神を病んで学校に来なかった。そして一か月くらいたったころだったかな。病院の中で亡くなったそうだ。狂死っていうのか?  こんなタイミングで海棠が死ぬなんて妙な話だよな。お前が殺したんだろう?」  董子は花びらに巻かれながら、流暢に語る。その姿がなんだかとても綺麗に見えて私はとても苛立った。 「あっは、仮にアタシが涼だとして、自分が死んだことになったらもう緋衣家の権威は使えない。そのことはわかっているんだよね?」 「涼としての死を迎える前に、あらかじめ海棠の入院する病院を見繕っておいけば、後は何とでもなる」  彼女はそっと目を瞑った。 「うんうん、面白いよ。海棠を抱き込んで嘘の死亡診断をさせのちに殺す。でもって代わりに玲を殺して身代わりにしたと。  でも、だったらなぜ雪江は死んだの?」 「それは玲が雪江を犯人だと指摘してしまったから、そうだろ?   もし犯人が明らかになってしまって、皆の前で懺悔でも始められようものなら玲を殺す時間が無くなってしまうからな。そうしたら当然、死の偽装がばれてしまう。お前の計画もすべて頓挫だ。  だから玲を殺すのと同じ時間に、一緒に殺したんじゃないかと思っているんだけど、合ってるか?」 「大した想像力だねえ。でもまだアタシを追い詰めるまでには至っていないよ、董子。  だって、。  ‼  この世界が打ち立てたこのシナリオをまったくもって否定できていないんだなあ‼ あんたの説はあくまで仮説‼ ただの絵空自、空想に過ぎない‼」  私はたたずみこちらを見つめている董子を指さし、云った。 「いいんだよ。それならそれで。  ボクはお前が玲であろうと涼であろうとどうだっていい」  彼女は悲愴に眉を顰め、 「ただ、雪江は本当に自殺したの? ボクはそれだけが知りたかった。  なあ、緋衣さん。   あなたは知っているんだろ? 雪江は本当に自殺だったのか? あいつは自殺なんてしなかったんだよな? 教えてくれよ、緋衣さん。  ただそれだけでいい。ただ、それだけで……。  ボクはそれだけが知りたいんだ‼」  私は彼女に背を向けた。  あの時の玲もそうだった、凡人はいつもいつも、詰めが甘い。だからあの日、凡人の玲は。犯人を見つけ安心しきって二人で逃げようとしているところを襲った。  殺害する対象が二人でも、大した手間ではなかった。  玲の遺体は発見された時の私と全く同じ格好で廊下に。雪江の死体は屋上から投げ捨てた。  死亡推定時刻が異なるのは調べられればバレてしまうけれど、母さんが私の死体が切り刻まれるのを阻止するだろう。だから解剖は絶対に行われない。  私は妹よりも正確に、緋衣家の力を把握していたつもりだ。 「さてね、は知らないわ」  私は董子に背を向ける。  私の言葉に、董子は何と感じたろう。今どんな顔をしているんだろうか。  模範解答は――雪江は自殺だった、だろう。  それが警察の公式見解だからだ。逆にそう答えなければ違和感を持たれる。  だけど私の口から出たのは、まったく別の言葉だった。どうして私は云い切らないのだろう。  私は魔女になり切れないのか?  自分と瓜二つの妹。  母でさえもその見分けがつかないほどにそっくりな。私は妹に似ていることをこの上なく嫌っていた。  ――双子なのかな? そっくりだね  皆、私たちをそんな風に云う。  こんな妹に私のどこが似ているというの?   母が用意した檻の中で自由を奪われて生きる私と、自由な選択を赦された妹。  永遠になくなることのない重圧に押しつぶされながら生きる私と、何の努力もせずにそこにいるだけの妹。  玲がいる限り、この果てしない劣等感は消えなかった。  劣等感? 私は劣っているのだろうか?   私には何が足りなかったのだろうか。姿も声も瞳も髪色でさえも、寸分変わらない姉妹だというのに。何が――。  もうどうでもいいことだ。堅苦しい秩序の世界。  永遠に開かれることの無い――緋衣家という無菌室から出た私は、もう自由だ。  これからも、永久に――。  ――。  私は桜舞い散る墓地を後にする。  後ろから董子が声をかけてくることは、もうなかった。                                        ――閉幕(カーテンフォール)
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