〜第二部〜 各人のアリバイが調査される

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     ✾ 「何⁉ 警察に電話が通じない? なぜだ。なぜよりにもよってこんな時に‼」  校長はまた真っ赤になって激高していた。董子はそれに冷ややかな視線を送りつつ、玲の様子を窺う。  彼女の振る舞いは傍から見ていても明らかに異常だ。どうして肉親を喪ってあんなに平然としていられるのだろう?   その疑問が喉に突っかかった小魚の骨のようで気がかりだ。まさか、彼女が涼を……? 「どうしてか、繋がらないんです。嵐の影響で電話線にまで異常を来しているのかもしれません」 「そんなバカな‼ 電話線がそんな簡単にイカれたりするもんか‼ 掛けなおせ掛けなおせ‼」 「そんなことをしても時間の無駄ですよ」  アイスピックのような鋭い言葉で、彼らの間に割って入ったのも、玲だった。 「さっきまでの話の続きを始めましょう。  皆さんの十八時零分~四十五分のアリバイを調べさせていただきたいです」  玲は皆を見まわした。 「校長先生。たしかんですよね?」  玲に合わせて皆の視線が校長に集まる。彼は気圧されたかのように「ああ、そうだが……」とだけ答えて、簡易的に設置された自習スペースの椅子に腰かけた。 「結構です。ならば、。  今回の犯人としてはわざわざ警報装置が鳴るリスクを負ってまで、今日犯行を決行した。しかし今ここにいる私たちは皆、遠くから通っている生徒ばかり。通常の日でも犯行を行うチャンスならばいくらでもあった。  いや、通常の日の方が犯行の機会は多かったと云えるでしょう、なのになぜ?  そこまで考えてみると事件の形が見えてきます」  彼女はそこで言葉を切ると、カバンからペットボトル入りの麦茶を取り出しそれを一口、口に含んだ。  雪江が殊勝に手を上げながら云う。 「外部犯人説が現実的でないのはわかりました。しかしそれは今ここにいる私たちにも当てはまることではないですか? わたしたちが犯人だとしても今日犯行を行う理由はないはずです」  それを聞いた玲はふっと微笑み、 「ええ、もちろんです。だからわたしは形が見えてくる、と表現しました。結論から云いましょう。十中八九、です。  衝動的な犯行だという証明は当然、容疑者が絞れてしまうというこの異常な状況に由来しています。ではなぜ内部犯による、なのか。それは背理法的な考え方をしてみると簡単に説明が付きます。  まず、犯人が外部犯だと仮定しましょう。犯人Xは嵐の始まる前に忍び込み機会を待っていたことになる。ここでさっそく前の命題と矛盾していますね? この犯行は衝動的なものでないとおかしいのです。先ほども言ったように、計画的な犯行ならば他にいくらでも安全に事を運ぶことができたのですから」  皆は息を呑んで彼女の説明を聞き入っている。  一塊になった七人には、だだっ広い体育館は広すぎて妙な感じだ。ところどころから隙間風が漏れているのか、風の音がイヤに耳につく。  董子はふと思った。  ――いや、待て。玲の推論にはがあるではないか‼   先ほどの雪江のしぐさを真似てピッと手を挙げ、 「ちょっといいか? さっきから聞いていると犯人が最適解を選んだということに依存しながら推測を進めているけど、犯人を買いかぶりすぎじゃないか?   例えばボクはこんなものも思いついたぞ。バカな犯人は嵐が来る直前に校舎に侵入。しかし目当ての涼は現れず、嵐が襲来。出られなくなってしまっているところで、たまたま廊下で涼を発見。そのまま刺殺。現在はどこかの教室に隠れている。  こんな可能性だってあるだろ? ま、警察が来れば一発で確保だから、そう脅威にはならないだろうけどな」  董子は自信ありげに胸を張った。  しかし玲は相変わらず不敵な笑みを浮かべたまま、じっと董子の方を見つめている。 「なるほど、バカな犯人説ですか。それもありでしょうね。しかし、それはある条件によって否定されます。これは私しか知らない情報に依存した推論なので、推理の前提がフェアじゃなかったことは謝ります」  そうして彼女はぺこりと頭を下げた。 「な、なんだよ。そのある条件ってのは」 「涼の胸に刺さったナイフ、つまりは凶器の問題です」  凶器――、あの高級なペティナイフのような刃物か……。だがあんな瀟洒なデザインのナイフは家庭科室にもましてやほかの教室にもない。計画的犯行の裏付けにこそなれ、否定にはなりえないはず……。 「あのナイフは涼姉さんが護身用と称して携帯していたものでした。私はこれにより一つの推論を立てました。  姉さんは犯人ともみ合いになった際、咄嗟にナイフを取り出したのを、犯人に奪われるか、もしくは手元が狂って自分に突き刺してしまったのではないかと思います。これによって導かれる答えは一つ。姉さんに胸の創痕を除き傷がなかったことからして、少なくとも」  なるほど、それならば衝動的犯行の根拠になりうるかもしれない。董子はむしゃくしゃしたように髪をかきむしると、 「ああ、たしかに――、あんたの推論は正しいだろうね。これ以上屁理屈をこねてもしょうがねえ」  と云って最初から床にペタンと座っていた小百合の隣にどっかと腰を下ろした。  そして今まで仏頂面を保ったまま黙って聞いていた海棠が、 「きっと台風が去るまであと一時間。電話の復旧でもう一時間くらいはかかるだろう。それまで黙っているというのは精神衛生上良くない。玲の云うようにアリバイを確認し合うのもいいんじゃないか? 疚しいことがないならば」  そして体育教師独特のギロリとした視線で皆を睨む。そして腰に腕を当てたままゴホン‼ というわざとらしい咳払いをし、 「じゃあ云い出しっぺの俺から云うぞ。  俺は十八時五分ごろまで体育教官室で仕事をしていたな。その間はいわゆるアリバイなしだ。それから居残ることになった生徒の監督をするために体育館に現れたのがだいたい八分くらいだったかな。ですよね、校長先生」  海棠に突然話を振られ、たじたじの様子で岩梨校長が 「あ、はあ、はい。私が時計を見ましたが、九分頃だったと」  と答えた。先ほどの剣幕はどこへ行ったのやら、今はすっかりしゅんとしてしまっていて、その身体が妙に小さく見える。 「うん、そこからはお前らが見ていただろう。俺はたしかにこの自習スペースの椅子に腰かけて監督をしていた」  監督――、居眠りの間違いだが訂正するのは面倒だ。  たしかに彼はずっとここに座っており、誰かが目を離した隙に涼を襲いに出るのはあまりに無謀だろう。よって十八時十分頃~涼が発見されるまでのアリバイが成立する。 「では次、今度は仕切らせていただいている私からアリバイを主張させていただきましょう」  そう云って玲は再び皆を見回す。そしてその当時を思い出すかのように指をこめかみに当てながらゆっくりとした語調で話していく。 「私はちょうど海棠先生のすぐ近くの席で自習をしていました。一度手洗いに立ったのは……そうですね、たしか小百合さんとすれ違ったので三十五分くらいでしょうか。三分掛からずに自習スペースに戻って再び学習を始めました。  それについては目の前で読書をしていた葵さんが正確な証言をしてくださると思います」  玲は葵の方に目配せをし、葵は当然のごとく、 「玲さんが手洗いに立った時間も間違いないです。その数分間を除き私が涼さんを探しに行くまで玲さんは席を立ちませんでした」  と答える。董子はゆっくり皆を見回した。  海棠はただ仏頂面をしているだけでよく見ると指先が震えているし、椅子に腰かけて蒼い顔のまま忙しなく貧乏ゆすりをしている岩梨校長からは、日頃の威厳はとうに消え失せている。  葵は海棠のすぐ隣でちょこんと立ったまま癖の強い黒髪をいじっていて、雪江はまるで定規でも入れたかのように背筋をピンと伸ばしたまま微笑を浮かべている。  小百合は不安そうな上目遣いで皆の中心にいる玲を注視し、その玲は少し大げさに腕を組み、何かを考え込んでいるようだった。こうしてみると本当に探偵みたいだ。 「では次は私からアリバイを――」  そう云って例のごとくピッと手を挙げたのはクラス委員長の雪江だ。  こんな事件があったにも関わらず絶えず微笑を浮かべているのは親友ながら少し気味が悪い。――そう思ってしまったのは董子だけだろうか。 「わたしも基本はこの体育館から離れることはありませんでした。あるとするならば、玲さんと同じくお手洗いに行ったくらいでしょうか。携帯がつながらないか試したりしていましたから七分くらいかかってしまいましたが。  そのことについては当時体育館にいた方ならば覚えているでしょう」  葵、小百合、玲がそれぞれこくりと頷く。董子は黙っているのも何なので口を開いた。 「雪江がトイレから帰って来た直後は小百合と話していたし、小百合がトイレに立ってからはボクと話をしていたからね。さっきの玲の表現を借りるなら、トイレに行っていた数分間以外はアリバイ成立だな」  董子が最後に「間違いない」と独り言つと、その言葉を引き取るかのように玲が、 「わかった。それでなんだけど手洗いに行った時とか、を聞いたりはしていないかな? 例えば犯人と被害者が争う音とか」  玲は狡猾な猫のように目を細めて訊ねた。雪江は相変わらず余裕のある笑みを浮かべたまま、 「ですね。わたしがお手洗いに入っている時も出た後も、雨や風の音が激しくて何も聞こえませんでしたもの。寄り道もしなかったので詳しいことはわかりません」  いつもの委員長らしい柔和な笑み。  玲は「結構です」と一言云って「次は董子さん、お願いします」と董子の方に視線を向けた。 「ボクねえ。そんなに云うこともないと思うぞ。  ボクはずっと体育館の中で筋トレしてたからね。目立っただろうからみんな見てたよな? 唯一席を外したのは十八時二分くらいにドリンクを切らしちまってトイレ脇の自販機に買いに行った時だけど、買うものは決まっているから一、二分で戻って来たな。逆にボクの外出を覚えてるやつの方が少ないんじゃねえか?」  董子は勢いよく皆を見回す。  ほとんど反応がないということは一度も退席しなかったといった方が得策だったか――とふと思ってしまう。 「わたしが覚えていますよ。たしかホールクロックが六時の時鐘を鳴らした直後に董子さんは飛ぶように外に出て、その後すぐに帰ってきました。」  と雪江が云うので、申告してよかったと冷や汗をかきつつも董子はほっとした気持ちになった。 「そうだよ、ボクがそんな短期間で殺してまた舞い戻ったというのか? それはさすがに無理筋だよ。返り血のこともある程度、考えないといけないからね」  董子がそうまくしたてると、玲は「うーん」と唸り、 「そうだね、董子が犯人である可能性は限りなく薄い、かな。でも不可能じゃない。廊下の先で涼が待っていることを知っていれば走って急襲することなんてわけないだろうし、返り血がついたらついたで新しい言い訳を足して手洗いで洗えばいいのだから。今回は偶然返り血を浴びずに済んだのかもしれない。  だから悪いんだけど、完全なシロとは云えないな」  彼女は申し訳なさそうに董子を見た。 「ま、それならそれでしょうがねえか。僅かでもその可能性を疑うのが探偵なんだろ?   じゃ、ボクの次は小百合だな」  董子は一歩下がって、隣でうずくまる小百合を見つめる。 「え、あたし?」  首をかしげる小百合に玲が優しく微笑みかけ、 「現場を見たショックが治っていないなら後でもいいよ。どうする?」  と訊く。 「もう大丈夫……。ええっと、あたしもみんなとそんなに変わらなくて基本はこの体育館で駄弁っていて一回だけトイレに行った……な。何時くらいだっけ。たぶん二十二分くらいに出て、三十五分には帰って来たかな……」 「たしか小百合だけ他と比べてやけに遅かったな。いったい何してたんだ?」  董子が鋭い視線を小百合に向ける。小百合はそのまま嗚咽を漏らし始めた。 「実は、あたしっ……、トイレの前のホールクロックをむしゃくしゃしてっ……、蹴って壊してしまったんですっ……」  へえ、パワーがあるねえと董子は心の中で思った。  あんなでっかくて武骨なものは蹴っても殴っても壊れないだろうと思ってたが、まさか細身の小百合でさえ叩き壊せてしまう代物だったとは。  岩梨校長は目を丸くしながら聞いている。  どうやらもう怒る気力も残されていないようで、顔はさらに蒼くなっていく。きっと理事長への言い訳でも考えているんだろう。あのホールクロックは理事長のお気に入りの品だと聞く。 「やっぱりね、十五分、三十分の時鐘は聞こえてきたのにそれ以降がないなとは思っていたんだけど、そうだったの」  玲はスラスラと小さなメモ帳に記述をしながらポツリと呟いた。  それにしても凄まじく良い耳に、そして記憶力だ。――と董子は思う。  運動していたとはいえ、体育館にいて一度もホールクロックの音は聞こえなかった。 「立花君、今日はいいから今度、先生のところに来るようにね」  いつもなら怒鳴り散らしながら生徒を引きずって職員室に連れ込む海棠も、今日は小百合を必要以上に責め過ぎないよう言葉を選んでいるようだ。  小百合も大人しく、コックリと頷く。  玲は、最後にもう半紙のような顔色になって貧乏ゆすりを続けている岩梨校長の方に視線を向ける。 「最後は校長先生です。アリバイの方をどうぞ」 「わ、私かね。私にアリバイなんぞない。海棠君と交代してからはずっと校長室でテレビを見ていたんだ。それでいったん生徒の様子を見るために下に降りて行こうと思ったら叫び声が聞こえた。あとはすべて葵君が知っているだろう」  玲は手際よくメモを取りながら、そのまま視線は上げずに質問を続ける。 「廊下や校長室にいて、はありますか?」  校長はいつも演台で話すような語調に無理やり合わせ、 「。校長室はここから離れすぎているからな」  とうんざりしたような息づかいで短く答えた。玲はひょいとメモ帳から顔を上げると、 「ありがとうございます。では最後に皆さん、なんでも結構です。今までの話の中で不審に思ったことや疑問と思ったことなどありますか?」  と云って微笑む。  すると思いのほかすぐに一つの手が上がった。皆、一斉にそちらの方を向く。 「すみません。ちょっといいですか?」  そう云ってまたもやピッと手を挙げて発言したのは委員長の雪江だった。 「海棠先生が仮に犯人だった場合、意図的に犯行推定時刻を遅く指定する可能性があるのではないでしょうか?」  そうか、その手があったか――‼ 董子は心の中で驚嘆した。  例えば犯行推定時刻が二十分早くなるだけでも、海棠は十分に犯行の時間が与えられることになる。  もし現在の犯行推定時刻に偽りがなかったとしたら、海棠が犯行に要せる時間はたったの三分。涼の抵抗のことも考え、それはあまりにぎりぎり過ぎだ。もちろん不可能ではないのだが。  玲は待っていたと云わんばかりに手帳をぱたむと閉じて、 「ええ、その可能性もあります。だから私は海棠先生の申告した十五分~三十分ではなく、前後十五分ずつ幅を持たせました。きっと先生が嘘をついて申告するならば偽物と本物の犯行推定時刻を離れさせ過ぎないだろうと予想したからです。いつ警察がやってきてもおかしくない。そんな状況下であまり実情から離れた申告をしてしまうと、いくら素人が判断したと主張したとはいえ疑われますから。  だからここから多少の誤差はあれ、というのがわたしの判断です。これで大丈夫ですか? 雪江さん」  玲は切れ長の目をメモ帳から上げ、委員長の方に向けた。 「ええ、大丈夫です」  柔らかく微笑んだまま雪江がこっくりと頷くと、皆の間に不意に沈黙が訪れる。その時に増して董子が夜のとばりを強く意識したことはなかっただろう。空間そのものが闇に飲み込まれて行くような奇妙な浮遊感。互いにアリバイを確認し合った。それによって結局、ほぼ全員に犯行を行うチャンスが平等にあったということが判明しただけだ。  ――疑心暗鬼。  そんな言葉が董子の脳裏をよぎる。  董子は強くかぶりを振った。  たった七人しか人がいない体育館には、重苦しい沈黙のみ漂っていて一向に誰も口を開こうとしない。  助けを求めるかのように皆の視線は自然と、輪の中心にいる玲に集まる。 「私もこんなことは云いたくありませんでした。わかってしまいたくはなかった……」  不意にぽつりと玲が漏らす。 「犯人が、分かりました」  外では風が強く吹いている。未だ嵐が去る気配はない。
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