第三章 水族館

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          *  入り口では二匹のイルカが出迎えてくれた。  ピンクのイルカと水色のイルカがにこやかに手(ヒレ)を挙げている。  僕たちは彼らの前を通って館内へと入っていった。 「私ね、水族館の中で一番イルカが好きなの」  入り口のイルカ像には目もくれていなかったウミが言った。 「イルカって漢字で ”海豚” って書くの知ってる? 酷いと思わない? あんなにキュートで賢い動物を豚だなんて」  それは豚にも失礼ではないだろうかと僕は思ったが口にはしなかった。「そうだね」と無難な相槌を打つにとどめる。 「成瀬はどうしてイルカが好きなの?」  僕はウミに尋ねた。 「顔がタイプなの。口を開けてる表情が笑顔に見えるじゃない? それにショーで飛んだり回ったりしてる姿がとても活きいきして楽しそうだから」  僕はイルカの顔を思い浮かべる。彼らの表情が笑顔なのかを知るすべは今のところないけれど、確かに朗らかに微笑んでいる姿を想像することはできた。 「でもね、イルカは楽しくて飛んでいるんじゃないのよ」  声のトーンを落としてウミは言った。 「どういうこと?」 「きっとイルカたちは、海を見ようとしているのよ。水族館の壁の先にある海を見るために、高く高く飛んでいるの。ショーなんてイルカたちにとっては退屈な時間なのよ。でも海が見たいから仕方なく演技をしている」 「素晴らしい想像力だ」 「そう思ってショーを見るとね、イルカたちがとても健気で可憐で痛々しくみえるの」  ウミは目を閉じた。  僕は半ば無意識にカメラのシャッターを切っていた。  乾いた音が僕とウミの周りだけに響く。  ウミは音につられるようにして目を開けた。 「私じゃなくて魚を撮りなよ」 「僕は不思議なものを写真に収めたくなる性格なんだ。成瀬は僕の常識の外側で暮らしているような人だから興味が尽きないよ。写真も沢山撮りたくなる」  僕は適当なことを口にする。 「これは決して嫌味ではないのだけれど、成瀬はいつも動物の心理だったり物事の成り立ちだったり、つまり普通はあまり考えないようなことを想像しながら生きているの?」  僕は相手を傷つけないようにと気を配る余り、いつもこういう喋り方になる。  ウミは眉を潜めたがすぐに笑顔を見せた。 「そうね。確かに私は色々な物事について考えるのが好きなのかもしれない。だけどそれは人より賢くなりたいからとか、知的好奇心が旺盛だからとか、そういった理由じゃないの。私は自分の外側を広くしたいと思ってる。見たこともない動物や現象を目の当たりにすると、胸がドキドキするでしょ? あれは自分の外側が広がっている感覚なのよ。外側が広がれば度量も大きくなる。行ける範囲も広くなる。そうしてどんどん自分の許容範囲を広げていけば、いつか幸せに辿り着けると思うの」  僕は呆然と立ち尽くしていた。  ウミの口が途切れることなく滑らかに動くのをただ眺めているだけだった。 「成瀬はときどき誰かが乗り移ったみたいな喋り方をする」  僕はそう口にした。ウミは苦笑いを浮かべる。 「ごめん。悪い癖なの。私の頭の中にあるモヤモヤしたおぼろげな感覚をつい言葉にして吐き出したくなるの。気にしないで」  そう言ってウミは通路を歩きだした。
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